「坂本龍馬」の版間の差分

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== 名台詞 ==
 
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;「ひさしぶりじゃのう」<br>「『以蔵さん』」
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: 初登場時、病弱スキルが発動した[[沖田総司|セイバー]]を倒そうとする[[岡田以蔵|アサシン]]の刃をお竜さんが止めた際の言葉。
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: アサシンは坂本龍馬を自称していたが本人の登場で真名がバレた。
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;「なに たまにはイイトコみせんと…」<br>「あいそつかれるがよ」
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: 天下布武スキルを発動した魔人アーチャーの火縄銃で傷つくお竜さんを庇い、盾となった際の言葉。
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;「<ruby><rb>天逆鉾</rb><rt>あまさかほこ</rt></ruby>に<ruby><rb>忌</rb><rt>ぬ</rt></ruby>われし、国津の<ruby><rb>大蛇</rb><rt>オロチ</rt></ruby>」<br>「天駆ける竜が如く」
 
;「<ruby><rb>天逆鉾</rb><rt>あまさかほこ</rt></ruby>に<ruby><rb>忌</rb><rt>ぬ</rt></ruby>われし、国津の<ruby><rb>大蛇</rb><rt>オロチ</rt></ruby>」<br>「天駆ける竜が如く」
 
: 宝具解放。時代という名の竜に乗る騎兵。
 
: 宝具解放。時代という名の竜に乗る騎兵。

2016年11月23日 (水) 11:36時点における版

ライダー

  • 真名:坂本龍馬
  • 性別:男性

騎兵サーヴァント

略歴
Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚』ではアサシンに襲撃された桜セイバーを手助けしに現れた。
性格
帝国海軍の軍服を着た青年。傍らには常に謎の美女「お竜」が付き添っている。
正体を隠すためか、出身地の方言である土佐弁を意図的に封印している。ただし、緊迫した場面や全力を出して戦うときなどでは、地の土佐弁に戻ってしまう模様。
少しとぼけた雰囲気ではあるが、気さくで話しやすい性格。
能力
竜に変貌するEX宝具を持っており、ライダーというクラス名の通り解放した宝具に騎乗して戦うほか、史実通りに愛刀の陸奥守吉行と拳銃も使いこなす。
『帝都聖杯奇譚』ではとある相手に対する抑止力として聖杯から直接召喚されているため、通常なら弱点になるマスターが存在していない。

ステータス

クラス マスター 筋力 耐久 敏捷 魔力 幸運 宝具 クラス別能力 保有スキル 備考
ライダー 無し C C B C A- EX 騎乗:A+
対魔力:C
船中八策:A
維新の英雄:A

宝具

天駆ける竜が如く
ランク:EX
種別:対軍宝具
レンジ:2~50
最大補足:500人
普段は「お竜」の名を持つ黒髪の女性の姿をしているが真名開放によって巨大な竜に変貌する宝具。
1回の召喚に付き一度きりしか真名開放できず、発動後もその存在の不安定さ故に長くは持たずいずれ消滅してしまうという強烈なデメリットが有る。
だが人の姿でもアサシンの斬撃を素手で受け止める、アーチャーの射撃をものともしない上に地面をただの一撃で砕くなど、その力はサーヴァントに匹敵。
竜に変身すると神代の神秘を纏い圧倒的な能力を発揮できる。
しかし竜であるがゆえに「神秘」を有しており、「神秘」持ちに対して優位なスキル「天下布武」を持つアーチャーは天敵。また、アーチャーに喉のあたりを一撃を叩き込まれたことでバーサーカーの如き咆哮を上げながら暴走している。
ランクがEXなのも、「強さではなく判断不能」という意味で付けられたもの。また、竜に近くはあるものの、厳密には竜とは異なる存在であり、とある山に封印されていた蛟などのもののけのたぐいらしい。

真名:坂本龍馬

さかもとりょうま。薩長同盟の立役者であり、海援隊の設立、大政奉還の成立に尽力し明治維新に大きく貢献した志士の一人。

登場作品と役柄

Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚‎
二人目のセイバーとして登場。……したがそれはアサシンの変装で、後にライダーとして本人が登場。

人間関係

帝都聖杯奇譚

アサシン
自身を騙ったサーヴァント。生前付き合いがあり、彼の恨みを買っている。
アーチャー
敵対するサーヴァントの一人であり、最大のライバル。彼女に対する抑止力として召喚され、この2人の戦いが大一番になったとか。
彼女に切り札の第六天魔王波旬を使わせた挙句敗北するも、敗れた際何かに気がついたのか「お前じゃない」という謎の発言を残した。

その他

お竜
常に傍らに付き従うという黒髪の女性。史実における坂本龍馬の妻「お龍(楢崎龍)」とは別人である模様。
かなりマイペースな性格で龍馬は彼女の奔放な言動に頭を痛めているものの、ピンチの際には男らしく庇おうとするくらいには親密。
実は彼が持つ宝具そのものであり、真名解放とともに巨大な竜へと変貌する。
その正体はとある山に封印されていたもののけ。龍馬に助けられ彼に一目惚れし、恩返しを口実に彼の押しかけ女房になったとか。
龍馬の最後は運悪くそばを離れていたため助けることができず、悲しみに暮れた彼女は人知れず海の底に消えたという。

名台詞

「ひさしぶりじゃのう」
「『以蔵さん』」
初登場時、病弱スキルが発動したセイバーを倒そうとするアサシンの刃をお竜さんが止めた際の言葉。
アサシンは坂本龍馬を自称していたが本人の登場で真名がバレた。
「なに たまにはイイトコみせんと…」
「あいそつかれるがよ」
天下布武スキルを発動した魔人アーチャーの火縄銃で傷つくお竜さんを庇い、盾となった際の言葉。
天逆鉾あまさかほこわれし、国津の大蛇オロチ
「天駆ける竜が如く」
宝具解放。時代という名の竜に乗る騎兵。
「違う…ノブナガ…」
「お前じゃ――ない……」
魔人アーチャーとの決着後、倒れながら残した謎の言葉。
その言葉の意味は、桜セイバーと魔人アーチャーの戦いに決着後において知る事となる。

メモ

  • 坂本龍馬と竜には名前以外には直接の関連はないが、「九州旅行した際に現地にあった天沼矛を引っこ抜いた」という逸話があるので、それによって竜を解き放つという解釈と思われる。
    • 元々「龍馬」という名は彼の母が出産の前に「己が腹に龍と馬が入っていった」夢を見たことに由来する。
  • 基本的な戦闘力は優れているようであるが、神秘の塊である竜の宝具と、ライダークラスの持つ騎乗スキルのおかげで、魔人アーチャーとの相性は最悪に近い。
    • 後の展開から考えると、実際はキャスターと彼の企てる計画に対する抑止力として召喚された可能性が高い。「お前じゃない」という言葉も、魔人アーチャーとの相性の悪さに気づいたライダーが、本来戦うべき相手が別に存在していたことを悟ったための発言と捉えることができる。
  • 実家の兄に頼み込んで送ってもらった家宝の陸奥守吉行の他にも、埋忠明寿や備前兼光(無銘)などの様々な差料を愛用していたと伝わる。吉行の刀が代表的な愛刀とされるのはやはり、暗殺事件の時に所持しており人生の最期に共にあったというエピソードゆえと思われる。なお、この吉行は後に坂本家子孫へと相続されたが、大正2年、移住した先の釧路で起きた大火の際に焼けてしまい、龍馬の手にあった時の拵を焼失したほか火災の熱で刀の反りが無くなる、再刃(焼けた刀を打ち直すこと)の際に吉行独特の刃紋が消えるなど、すっかり面影を失ってしまうこととなった。現在は京都国立博物館に収蔵されている。
    • ちなみに土佐から脱藩するときに差していた肥前忠広は武市半平太に譲渡した後、武市の手から岡田以蔵に渡ったという。
      • ただし、サーヴァントとなった岡田以蔵が使うのは、肥前忠広ではなく、よく切れるだけの無銘の刀である模様。彼なりに思うところがあったのだろうか。

話題まとめ

クラス適性
作中では「ライダー」のクラスで召喚されているが、近代的企業の先駆けである、海上運輸会社と民間軍事企業の両面を兼ね備えた「海援隊」の設立者として有名。
ちなみに「海援隊」の前身である「亀山社中」時代には第二次長州征伐で海戦も経験している。また日露戦争二日前明治37年2月6日、明治皇后妃美子様の夢枕に龍馬が立ち、海軍軍人の守護を誓ったという。
直接海戦に関わった逸話は少ないものの、船に関わる逸話は多いので「ライダー」のクラスでもおかしくなく、先の夢枕の伝承が付加されるかもしれない。
史実における龍馬は二挺の銃を愛用しており、一つ目は「S&Wモデル2アーミー」の 33口径6連発であり、これは高杉晋作から贈られたもので、寺田屋事件で襲撃を受けた際にこの銃を使ったという。
しかし斬り合いの混乱でこの銃は紛失し、後に買い求めたのが「S&Wモデル1/2」の 32口径5連発。これは妻である楢崎龍と共に1丁ずつ所持し、薩摩滞在時はこれで狩猟などを楽しんだという。拳銃で遠距離狙撃を行うのは相当な技量を必要とされるため、銃の扱いはかなり練達していたらしく、「アーチャー」クラスの適性もあるものと思われる。
ただ、この銃は近江事件の時も携帯していたが、発砲する暇もなく龍馬は殺害されている。
「北辰一刀流免許皆伝」を持っているが、実は北辰一刀流には剣術と共に薙刀術もある。龍馬はむしろ後者の方に秀でており、免許皆伝も薙刀の方に与えられたものであった…いう説が有力となっている。その場合、「ランサー」クラスの適性がある事になる。
知名度
坂本龍馬の知名度は幾度かの龍馬ブームによって一般大衆の認識と忘却を繰り返している。
維新後、明治16年に坂崎紫瀾が執筆した「汗血千里の駒」によって一つ目のブームが起こる。
明治23年に勝海舟がまとめた「追賛一話」によると龍馬が行った事業は広く世に知られているという記述がある。そのことから明治23年には坂本龍馬はすでに有名であったことが分かる。
次のブームは上述されている日露戦争時での、皇后陛下の夢枕に坂本龍馬が立ち日本の勝利を告げた件である。この件から坂本龍馬は海軍の神様としても有名となった。
その次は大正デモクラシーの時である。龍馬が考案した船中八策の第2条目がデモクラシーの先駆けと考えられたからである。このことが龍馬を平和的革命者であるというイメージを定着させたのだ。
昭和3年に桂浜で龍馬の銅像が建立された際には、その除幕式に陸海軍の兵士が参列し、沖には駆逐艦が碇泊した。この銅像は第二次世界大戦中に県下の銅像の殆どが供出された際にも、天皇陛下のために働いた人物であるからと供出はされなかった。
戦後は、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」がベストセラーになったことがきっかけで再度有名となり、現代の龍馬像に大きく影響を与えた。
龍馬の死因は「暗殺」で、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町近江屋で中岡慎太郎を迎えていた際に、押し入ってきた何者かに斬殺されている。当初は新選組の関与が強く疑われ、新選組に所属していた大石鍬次郎が捕縛された際に龍馬暗殺を自白するが、後に撤回している。海援隊隊士たちは紀州藩による「いろは丸事件」の報復を疑い、両者の間で事件が起きている。
現在の定説は、箱館戦争で捕虜になった元見廻組の今井信郎の与頭・佐々木只三郎とその部下6人が坂本龍馬を殺害したという供述。だがそれも確かな事実とは呼べず、現在では薩摩藩黒幕説やフリーメイソン陰謀説まで様々な異説が生まれ、未だ議論が続いている。

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