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== メモ ==
*Twitterや公式サイトの紹介では「柳生但馬守宗矩」名義で紹介されているが、ゲーム内の真名はあくまでも「柳生宗矩」である。
**「但馬守」とは将軍・家光から任官された官職であるため、真名に記載が無い以上「裏」に生きた柳生宗矩はこれを任官していないと思われる。
* 『Samurai Remnant』の舞台は慶安4(1651)年だが、史実での柳生宗矩は正保3(1646)年に没している。<br> …つまり『Samurai Remnant』では、'''幕府に由縁のある大名が死亡してから約5年ほどで(イフの存在とはいえ)江戸に召喚された'''という、下手をすれば生前の宗矩を知る人物と出くわしかねない事態となっていた。
** さらにタチの悪い事に、宗矩から家督を受け継いでいた柳生十兵衛三厳が慶安3(1650)年に病没しており、末の弟の柳生宗冬が自身の扶持を返上して家督を急遽継ぐという事態に至っている。そのような時期に「若年の宗矩に瓜二つで、新陰流の達人である剣士が出没する」等という噂が流れたら特大のトラブルになりかねない。
** これは[[李書文 (帝都聖杯奇譚)|李書文]]が1934年に亡くなり、1945年が舞台の『[[Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚]]』に召喚されるまでの''約11年''という年月を上回ってはいるものの、宗矩の場合厳密には生前と同一人物ではないので、扱いが難しい所ではある。
* 陣羽織の模様は[[柳生但馬守宗矩]]の背後に飛んでいた猛禽類が亡霊のようになった姿。デザイン原案の古海鐘一氏曰く、宗矩が本来とは違う道を選んだ事を表しているとか<ref group ="出">[[TYPE-MOONエース]] Vol.16 P.076</ref>。
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