話題まとめ
;「ミスリード」の真偽
:[[エミヤ|あっちのシロウ]]へのミスリードを誘う造形で登場したシロウだが、ソース不明の言説で『シロウ・コトミネ=平行世界の衛宮士郎という誤った推測にファンを誘導するため、奈須きのこや東出祐一郎が衛宮士郎・アーチャーファンの期待を煽る恣意的な発言を行った』と主張される事があり、2巻発売直後は炎上の様相を見せる程であった。<br>だが実際の所、Apocryphaの第一報が発表された2012年7月~シロウの正体が発覚する2巻が刊行された2013年8月までに発表された関係者の発言で、[[エミヤ|あっちのシロウ]]とシロウ・コトミネの繋がりを直裁に示す物があったとは言い難く、多くの主張がデマや誤読によるものと判明している。
:*(例)『「正体はアイツだよね」と察してもらえるだろう』『いつもの赤マント(いつもの赤いの)が出張する』──これは2011年発行の'''Fate/EXTRAビジュアルファンブックで[[無銘]]に寄せられた奈須きのこの発言'''『「真名はないけれど、アーチャーの正体はアイツだよね」と察してもらえるだろうと。』が'''取り違えられた'''もの。後者も竹箒日記2010/7/23でEXTRAの無銘に宛てられた『いつもの赤マント』発言が取り違えられている<ref group = "出">[http://www.typemoon.org/bbb/diary/log/201007.html 竹箒日記2010/7/23]</ref>。
:*『星を追う少年』──2012年12月10日のひびちからじお第63回で公開された東出祐一郎書き下ろし音声広告の『少年は変わる。届かぬ星に手を伸ばすために。』が誤解釈されたもの。このフレーズはシロウではなく、Apocryphaの主人公[[ジーク]]に宛てられている。
:**2012年7月に発表された「TYPE-MOON10周年記念オールキャラクター人気投票結果発表」で奈須きのこから衛宮士郎に寄せられたコメント『主人公の宿命か、凛やセイバーのように派生作品においそれとお邪魔できませんが、彼は今も星を追いかけているのです。』と混同されたと推測される。
:正体発覚前のシロウに言及された公式関係者の発言の内、唯一ソースが確定しているものに、第一巻発売を控えた2012年末のTYPE-MOONエース8での対談があるが、
──個人的には聖堂教会の監督官の姿がどこかで見た感じの方で、非常に気になります。
東出「色黒の人ですね(笑) 。プレビュー版にも名前だけは出てきます。」
:という非常に簡素な物。取材者も東出氏も'''「対談相手はシロウの容姿を”どこで見た誰に似ている”と思ったのか」に言及していない'''事に注目されたい。…要するに「突っ込まれたら困るからはぐらかした」のだろうか。
:無論、明言していないだけで、衛宮士郎へのミスリードを誘ったのは間違いないだろう(でなければ、日焼けさせる必要も、コトミネ姓を名乗る必要もない)。だがそれは、「士郎である事を誤認させ期待させる」事よりも「士郎を目眩ましにして天草四郎の正体を隠す」と言うニュアンスに重点が置かれていたと考えた方が自然である。
:実際、第1巻発売の2週間前に刊行された「TYPE-MOONエースVol.8」でシロウの名前と聖堂教会の神父という前情報が公開された段階で'''『シロウはシロウでも漢字違いの別人ではないか』という予想から速攻で天草四郎の名前が導き出されてしまう'''ほど([http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/otaku/995/1355157046/ リンク先247-248])天草四郎の名は”シロウ”繋がりで連想しやすい人物名だった。<br>そのため、事前にアルトリアと別人だとアナウンスが為された赤セイバーと異なり、もし事前情報で衛宮士郎と無関係だと明言されていたら、16騎目のサーヴァント=天草四郎の存在を伏せるギミックは成立し得なかっただろう。
;島原の乱
:三代将軍・徳川家光の治世の時に発生した、大坂の陣以降では幕末を迎えるまでに起こった最後にして最大規模の内戦。一般には天草・島原藩によるキリシタン弾圧に反発した人々の騒乱という認識が広まっているが、'''実際には藩主の苛虐な圧政への不満が根本的な原因であり、キリシタンの反攻は二の次に過ぎなかった'''。
:当時は中世から近世への支配層としての武家の意識の転換期であり、幕府の定めた法制による施政の正当性と公平性を示すために譜代や親藩の大名であっても落ち度があれば容赦無く改易する3代将軍家光の時代にあって、この時島原藩を治めていた松倉勝家は、中世的な武家の観念の中の悪い側面から抜けきれず、対外的な威勢を張るために石高を実際の検地結果より相当多く幕府に申告しており、その帳尻を合わせるために藩内の農民に過剰すぎる年貢の取り立てと残虐極まりない罰則を敷いて無理矢理収入を増やそうとしていた。加えて天草諸島を治める唐津藩の寺沢堅高も、天草の石高を実際の2倍も過大評価したことで重税を課していた。
:特に島原の圧政は苛烈を極め、『黒田長興一世之記』という記録によれば、1637年10月(旧暦)、年貢が支払えない庄屋の身重の妻が役人に捕らわれ、裸で水牢に入れられた。庄屋では年貢の支払いに知恵を絞るも払えるものはもう何もなく、6日後、妻は出産した子供と共に命を落とした。<br>こうした暴虐に耐えかねた人々は同年10月25日に代官を殺害して蜂起、これが島原の乱の始まりである。
:幕府の政策によって他藩が幕府の許可が下りない内は軍を出動させられなかった事などが追い風となり、当初は一揆軍側が優勢であったものの、九州諸藩の討伐軍が島原に進軍してくると次第に追い詰められていき、最終的に島原半島南部にあった原城に立て篭もる。その数は3万7千人にも及び、更に各地から奪った鉄砲などで武装するなど原城の防備を固めた。
:幕府はまず九州諸藩の討伐軍のみで原城を攻めようとする。だが総大将に任じられた板倉重昌には九州大名たちを率いるに足る地位がないことから軍は統率や戦意を欠いた状態となり、ひたすら総攻撃を続けるも攻城は全て失敗。事態を重く見た幕府は追って「知恵伊豆」の異名を持つ老中・[[松平信綱]]を派遣するも、それから間もなく重昌が戦死して指揮官がいないまま戦線が瓦解し掛けるという最悪の結果を迎える。信綱の援軍派遣決定を受けて責任を取らされる事を恐れた重昌が功を焦り、総攻撃にあたって自ら最前線に出たところを討ち取られたという。家光の側近であった[[柳生但馬守宗矩]]はこの顛末を予期し、重昌の派遣を撤回するよう諌言したという。
:辛うじて援軍到着まで持ちこたえた討伐軍は総勢12万を数えるも、信綱は緩急を付けた戦い方を心掛けて無理な攻撃を控えるようになり、情報収集や矢文で投降を呼びかけるなどの調略戦を展開。更に一揆軍の食料が残り少ないと見て取ると兵糧攻めを仕掛けて一揆軍の弱体化を計った。<br>篭城戦が始まった3ヵ月後の1638年2月27日(旧暦)、遂に総攻撃を再開、兵糧攻めで武器・食料を失っていた一揆軍は総崩れとなり、乱は鎮圧された。
:*なお、立て篭もった3万7千人全員が討ち取られたとされているが、最近の史料では1万人ほどが投降・脱出するなどして命を失わなかったと言われている。
:*そして乱の鎮圧後にこの2藩主は暴政によって騒乱を招いた責任を問われ、寺沢堅高は天草領を没収、後に心傷が祟って自害し、主家が断絶した唐津藩は改易に至る。<br>松倉勝家は直ちに改易処分されたばかりか、江戸に罪人として送られ1638年8月(旧暦)に斬首刑となった。'''近世大名が切腹ではなく斬首となったのは後にも先にもこの時だけ'''であり、さすがの幕府も勝家の目に余る暴政ぶりと治まりかけた世を揺るがした咎は看過しようがなかった事が伺える。
:*これと同時期に、1年半をかけて一揆軍と結びついていたポルトガルとの国交を断絶。さらに唯一貿易を交わすキリスト教国だったオランダとの貿易にもますます厳しい制約が付くようになり、宣教師対策として取った鎖国体制はさらに強固になっていったが、元々オランダはキリスト教でも新教国であって、「戦時中の敵国であっても武器兵器で商売をする」ほど経済重視であったので宗教上の制約は問題とされず、鎖国中の国際情勢に関しては主にオランダを経て幕府は精通していた。
:**なお、当時のオランダはポルトガルと戦争状態にあり、日本においてポルトガルの影響を削ぐべく、幕府軍に幾許かの協力を行っていた。
;母「マルタ」
:史実では天草四郎の母は「マルタ」と言う名前だと記録が残っている。
:島原の乱を鎮圧した幕府ではあったが、首謀者たる天草四郎の人相を把握していなかったため、多数持ち込まれる年頃の少年の首のどれが天草のものであったか区別がつかなかった。そこで、予め捕えてあった天草の母に少年の首を見せていった所、ある一つの首を見て青ざめ泣き崩れたため、その首を天草四郎であると断定した。
:もちろんこれは本名ではなく洗礼名(クリスチャンネーム)であり、[[マルタ|こっちのマルタ]]が天草と関係があった訳では無いが、英霊として登場している方のマルタが由来となって、クリスチャンの女性の洗礼名に「マルタ」という名前を使うのが広まったので、自分の母の洗礼名の由来本人であるという点では天草四郎から見て無関係の人物ではない。
;魔界転生
:ご存知、山田風太郎の伝奇アクション小説であり、Fateシリーズのひとつの原点ともなった作品である。発表当初は「おぼろ忍法帖」というタイトルだったが、1981年の映画化の際に現在のタイトルに変更された。
: 「氷室の天地」で語られているように原作では森宗意軒が黒幕となっているが、81年の映画化以降に製作された作品群では、天草四郎が魔界衆の頭目となっている。<br>映画で天草四郎が頭目となった理由は単純で、原作のままでは2時間という尺に収まらないので森と由比正雪の役割を四郎に集約させたのである。<br>81年の映画では天草四郎を沢田研二、対する柳生十兵衛は千葉真一が演じ、観客動員数200万人を超える大ヒット作となった。<br>この映画での天草四郎の人物像は非常に強烈なもので、人形師である辻村ジュサブローがデザインアドバイスしたという秀逸な衣裳や、特にラストシーンで十兵衛に斬り飛ばされた'''生首'''を小脇に抱えて哄笑するシーンは、沢田研二のイケメン顔と相まって大変印象深いシーンとなっている。
:*ちなみに、奈須きのこがFateシリーズの原点として挙げたのは映画版ではなく、石川賢版の漫画「魔界転生」で、これには森宗意軒や由比正雪も登場しているものの、原作では転生しない徳川頼宣も魔界衆となる他、神と悪魔の対立を主軸におくという大胆なアレンジがなされており、天草四郎が首魁であるが闘いとしては柳生十兵衛と魔界衆となった宮本武蔵の対決がクライマックスとなっている。
:*ついでに言うと「魔界転生」の他メディア化の内、アニメ版天草四郎役はzeroバーサーカー役の置鮎龍太郎、2011年舞台版天草四郎役はロード・エルメロイⅡ世でお馴染み浪川大輔である(上演時期はアニメ版zeroのチョイ前)。
:**余談だが浪川氏登場の舞台版で主演の柳生十兵衛役を演じたのはギルガメッシュ役でお馴染の関智一、敵の一人である田宮坊太郎役を演じたのはアニメ版四郎でランスロットな置鮎龍太郎、柳生宗矩役はアニメ版zero時のフィン・マックール役の楠見尚己だった。
:*また、同作には上述した柳生十兵衛、宮本武蔵のように、多くの剣豪が登場する。キャスターに強化された「とある剣豪が使っていた日本刀」は、この「魔界転生」に登場した剣豪の一人、柳生十兵衛の愛刀と同じ「三池典太」だった。
:**登場人物のうち四郎、十兵衛、武蔵に加えて、[[柳生但馬守宗矩|柳生宗矩]]及び[[宝蔵院胤舜]]の5名が原作及び'81年・'03年の両映画版に共通して登場した'''中核メンバー'''であり、十兵衛を除いた4名が2018年1月の時点で『Grand Order』に実装済。
:**なお、2017年7月より放映が始まったアニメ版『Fate/Apocrypha』は地上波の東京MX、BS11ほかで直後の番組が同時期に放映スタートしたニトロプラス原作・ufotable制作のアニメ『活撃/刀剣乱舞』となっていることが多く、シロウが三池典太光世を持ち出した8月19日(最速)の第8話では、先週から刀剣乱舞の方に大典太光世(三池典太の作で天下五剣にも数えられる。足利将軍家から豊臣家を経て前田家に渡り、現在に至るまで加賀藩の重宝とされている太刀)が登場していることもあってアニメ実況の場が非常にざわめいた。東出祐一郎氏も自身のtwitterアカウントで実況解説をしながら「原作を執筆していた時にはまさか後番組が刀剣乱舞にはなるとは思っていなかった」という趣旨のツイートをしている。
:**ちなみに刀剣男士の大典太光世は原作ゲームのキャラクターデザインがFGO版ブリュンヒルデなどを手掛ける三輪士郎<ref group = "注">翌々週となる9月2日の放映時、三輪氏自らの手になる「コトミネ・シロウの三池典太が刀剣男士になったら」というイラストがtwitter上にアップされた。</ref>、声優は前述した舞台版四郎の浪川大輔氏である。
:**後に島原の乱に参戦していた武将の一人、松井興長が所有していた松井江が実装している。松井興長は天草の首を討ち取った陣佐左衛門と同じく肥後細川家に仕えた筆頭家老。この戦功申告が松井家の蔵から見つかり話題になった。
; 旗の宝具
: 十字軍の旗、ジャンヌ・ダルクの旗、天草四郎の陣中旗が俗に「'''世界三大聖旗'''」(もしくは世界三大軍旗)と呼ばれている。
: アイディアを考えていた東出氏はこれを知ってジャンヌの宝具と対になるものとして使えると喜んだが、探しても出典が分からない。そこで日本カトリック中央協議会にメールで問い合わせてみたところ、「'''そういうものを認定したことはない'''」と物凄く丁寧な返事をもらい、結局シロウが旗の宝具を使うネタは没になったという。(前述のようにローマカトリック教会は島原の乱を殉教とは認めておらず天草四郎は列聖されないし遺品も聖遺物にならない)
: なお、陣中旗は『Grand Order』にて、絆礼装「天草四郎陣中旗」のモチーフとして採用されている。
: 旗は原城落城時に一番乗りした武将・鍋島大膳が自身の武功を示す品として持ち帰り、子孫に代々継承されていた。昭和38年(1963年)、子孫が3600万円でロックフェラー財団に売却しようとしたため文化庁は「綸子地著色聖体秘蹟図指物」の名前で重要文化財に緊急的に指定して海外流出を阻止した。しかし所有者変更の届出なしでどこかへの売却が行われたようで『日本美術年鑑 昭和47年版』では「世界の三大聖旗の一と言われる天草四郎時貞の「陣中旗」(重文)が昭和39年頃から行方不明になっていることが判り既に海外に渡っている惧れもあると憂慮されている。」と取り上げられた。海外流出はしておらず1970年代後半に愛野町「愛のベルハウス」にあった資料館「四郎の館」で展示されたが経営難により閉館。その後所有者になった松本高光氏によって1978年に本渡市立「天草切支丹館」(2010年のリニューアルで天草キリシタン館に改名)に寄託され、1995年には本渡市(現・天草市)に寄贈された。天草切支丹館の頌徳碑では「我が国の切支丹史・美術史上極めて貴重な歴史的遺産であり、世界の三大聖旗の一つと言われ国際的にも高く評価される。」と書かれている。
: 描いたのは島原藩のお抱え南蛮絵師であり一揆勢では天草四郎に次ぐ副将格となった山田右衛門作(与茂作)とされる。セミナリヨで絵画を学んだリノ山田と同一人物ではないかと目される。一揆勢に息子を人質にされて参加させられた彼は敵方との交渉の文を書く役目を利用して内通しており、それが一揆勢にバレて妻子を処刑され牢に入れられていたが、落城時に内通の矢文という証拠があったおかげで処刑を免れただ一人生き延びることができたといわれる。落城後は、[[松平信綱]]に連れられて江戸の信綱邸で暮らした。彼の南蛮絵は生き絵として評判で、信綱が処刑される放火犯の様子を描かせて掲示すると火付けが減ったという。
; 天草諸島
: 九州西部の熊本県と、一部は鹿児島県にまたがる諸島。本名益田四郎である天草四郎の「天草」の名はこの出身地の名から取られている。近年天草諸島の自治体は「サンタクロースの聖地・天草」を掲げた観光事業に力を入れており、国際サンタクロース協会の世界サンタクロース会議の誘致を行っていた。
: 「サンタアイランド仮面」に扮した四郎が「サンタアイランドに住むサンタアイランド仮面」と名乗るのは全くのデタラメではく、実はそれなりの由来があったりする。
;天草ピックアップ
:期間限定サーヴァントの中ではピックアップの回数が比較的多い天草だが、同時期かその後に爆弾を投下させるとユーザーから囁かれている。
:一度目は『Grand Order』ではFGO初の「[[アヴェンジャー|復讐者]]」のサーヴァントであり、プレイヤーからは[[主人公 (Grand Order)]]の裏の相棒と呼ばれるに至った[[巌窟王 エドモン・ダンテス]]、
:二度目は『[[Fate/stay night]]』のヒロインの一人[[遠坂凛]]を寄り代にして疑似サーヴァントとなった[[イシュタル]]、
:三度目は『stay night』の原点である『Prototype』とそのスピンオフ作品『蒼銀のフラグメンツ』に登場した「セイバー・プロトタイプ」こと[[アーサー・ペンドラゴン]]
:四度目はEpic of Remnantの四番目の物語である『亜種特異点Ⅳ 禁忌降臨庭園 セイレム』の開幕および[[“山の翁”]]の復刻ピックアップ…
:と、登場した作品やシナリオ内で大きな存在感を放つキャラや新情報ばかりがぶつけられて来ていたため、ユーザーからはある意味でこのピックアップに畏怖の目を向けられている。