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− **本来、長尾家は関東管領・上杉家の家宰(主家の政務を家長に代わり取り仕切る役割。後の家老)職を代々務めていた家であり、景虎の三条長尾家は越後守護代として越後守護上杉家に仕えていたが、越後守護・上杉定実が後継ぎを遺さず死去したのち景虎が越後国を引き継ぐことを将軍・足利義輝に認められた。2年後、北条氏康との戦いに敗れた関東管領・上杉憲政が越後に逃れ、追撃してきた北条軍を景虎が撃退。同年の武田晴信(のちの信玄)の侵攻も退ける(第一次川中島の戦い)などして発言権を増し、この後も武田氏や北条氏との戦や和睦を繰り返した末に永禄4(1561)年、関東管領・上杉憲政の養子となる形で山内上杉家の当主および関東管領の地位を相続、名を上杉政虎と改めた。さらに同年、将軍義輝より一字を賜り、輝虎と改名する。有名な「上杉謙信」を名乗るのは元亀元(1570)年以降のことであり、謙信は僧としての法号である。<br>サーヴァントとしての名を「長尾景虎」としたのは武将としての逸話の中核をなす川中島の戦い、天文21(1552)年の第一次から永禄7(1564)年の第五次までのうち、五分の三をその名で戦ったゆえに全盛期として設定されたものと思われる。+
→メモ
==メモ==
==メモ==
*発表されて以降は読者から真名に対する推測も行われており、女性説もある戦国大名「上杉謙信」や、その上杉謙信の部下であり「風花雪月」の言葉で知られている「直江兼続」などが有力視されていた。
*発表されて以降は読者から真名に対する推測も行われており、女性説もある戦国大名「上杉謙信」や、その上杉謙信の部下であり「風花雪月」の言葉で知られている「直江兼続」などが有力視されていた。
*後に公開された真名は上記の上杉謙信の別名である「長尾景虎」であり、予想した人間の多くが正解となった。
**後に公開された真名は上記の上杉謙信の別名である「長尾景虎」であり、予想した人間の多くが正解となった。
*CVを担当する水樹奈々氏は今回が『Fate』シリーズ初参加で、一部ユーザーから「Fateにフェイト・テスタロッサ(『魔法少女リリカルなのは』シリーズのメインキャラ)が来た」と言われている。また『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズのメインキャラ・風鳴翼が劇中で発した「<RUBY><RB>防人</RB><RT>さきもり</RT></RUBY>」にちなんで「防人ならぬ酒盛りが来た」などとも言われている。
*CVを担当する水樹奈々氏は今回が『Fate』シリーズ初参加で、一部ユーザーから「Fateにフェイト・テスタロッサ(『魔法少女リリカルなのは』シリーズのメインキャラ)が来た」と言われている。また『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズのメインキャラ・風鳴翼が劇中で発した「<RUBY><RB>防人</RB><RT>さきもり</RT></RUBY>」にちなんで「防人ならぬ酒盛りが来た」などとも言われている。
**フェイト・テスタロッサは『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ|プリズマ☆イリヤ]]』とのコラボ企画で既に登場経験があるのだが、水樹氏自身も以前に『[[空の境界]]』の[[黄路美沙夜]]役で型月作品経験済みであり、か細いながらも縁は存在していたと言えよう。
**フェイト・テスタロッサは『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ|プリズマ☆イリヤ]]』とのコラボ企画で既に登場経験があるのだが、水樹氏自身も以前に『[[空の境界]]』の[[黄路美沙夜]]役で型月作品経験済みであり、か細いながらも縁は存在していたと言えよう。
*いつも通りの女体化というわけでもなく、上記のように上杉謙信にはトンデモレベルではあるが「女性説」も普通に囁かれていた。理由としては「生涯妻を持たなかった」「声が高いことが特徴」「月に一度は体調不良になっていた」などが挙げられている。
*いつも通りの女体化というわけでもなく、上記のように上杉謙信にはトンデモレベルではあるが「女性説」も普通に囁かれていた。理由としては「生涯妻を持たなかった」「声が高いことが特徴」「月に一度は体調不良になっていた」などが挙げられている。
**......が、近年になって'''妻と婚姻していた'''史料が発見されており、現在では男性だとほぼ断定されている。
**......が、近年になって'''妻と婚姻していた'''史料が発見されており、現在では男性だとほぼ断定されている。
*本来、長尾家は関東管領・上杉家の家宰(主家の政務を家長に代わり取り仕切る役割。後の家老)職を代々務めていた家であり、景虎の三条長尾家は越後守護代として越後守護上杉家に仕えていたが、越後守護・上杉定実が後継ぎを遺さず死去したのち景虎が越後国を引き継ぐことを将軍・足利義輝に認められた。2年後、北条氏康との戦いに敗れた関東管領・上杉憲政が越後に逃れ、追撃してきた北条軍を景虎が撃退。同年の武田晴信(のちの信玄)の侵攻も退ける(第一次川中島の戦い)などして発言権を増し、この後も武田氏や北条氏との戦や和睦を繰り返した末に永禄4(1561)年、関東管領・上杉憲政の養子となる形で山内上杉家の当主および関東管領の地位を相続、名を上杉政虎と改めた。さらに同年、将軍義輝より一字を賜り、輝虎と改名する。有名な「上杉謙信」を名乗るのは元亀元(1570)年以降のことであり、謙信は僧としての法号である。<br>サーヴァントとしての名を「長尾景虎」としたのは武将としての逸話の中核をなす川中島の戦い、天文21(1552)年の第一次から永禄7(1564)年の第五次までのうち、五分の三をその名で戦ったゆえに全盛期として設定されたものと思われる。
*やたらとトイレに関わるネタシーンが多いが、これは彼女の死因として「死んだ場所が厠であった」という有力な説が原因。上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため「アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたもの」というものである。
*やたらとトイレに関わるネタシーンが多いが、これは彼女の死因として「死んだ場所が厠であった」という有力な説が原因。上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため「アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたもの」というものである。
**型月ではこのネタが採用されてしまっており、信長が語ったウォシュレットに興味を持っている他、酒盛りをした時は五時間以上も飲み続けて他の酒飲みのサーヴァント達を全員潰してしまい、サーヴァント界屈指の酒豪であることを証明している。バレンタインイベントでも主人公にチョコを渡す傍ら、自分は厨房からくすねてきた洋酒と塩で酒盛りをしていた。
**型月ではこのネタが採用されてしまっており、信長が語ったウォシュレットに興味を持っている他、酒盛りをした時は五時間以上も飲み続けて他の酒飲みのサーヴァント達を全員潰してしまい、サーヴァント界屈指の酒豪であることを証明している。バレンタインイベントでも主人公にチョコを渡す傍ら、自分は厨房からくすねてきた洋酒と塩で酒盛りをしていた。