− | *孔明本人の人物評に関して、後に実装された[[陳宮]]がマイルームにてかなり辛辣な内容で評価・言及している。その中で「本人の実力は高いが、他人を見る目が無く弟子にも恵まれていない(要約)」とあり、依り代であるエルメロイⅡ世はその対極「本人の実力は低いが、他人を見る目は確かで多くの弟子に恵まれている」と(陳宮の推察が間違いでなければ)<ref group = "注">実際、君主である劉備の遺言にて実力以上の見栄を張るから大事を任せないよう言付けられた馬謖を徴用した結果街亭の戦いにて敗戦を喫し撤退を余儀なくされた。劉備没後の後任に関しても「劉禅が仕える価値のない暗愚であれば迷わず国を治めてくれ」との遺言に対して帝位に劉禅を置いたが、劉禅の放蕩ぶりと孔明没後の蜀の零落を見るに劉禅に王の資質があったかは疑問である。また、愛弟子である姜維に関しても彼のために策を弄してまで敵対国である魏から引き抜いて後継者として手元に置いたが、彼は孔明の没後に勝機もないまま幾度となく北伐を繰り返し国力を疲弊させ、西晋への降伏へと繋がった。降伏の後、晋王である司馬昭は「諸葛亮が御しきれなかったのに姜維には尚更無理だっただろう」と語っており、孔明自身の能力の高さ、人を見る目のなさ、弟子の不甲斐なさを遠回しに表してると言え、陳宮の推察は的を射た発言といえる。</ref>見事なまでに真逆の性質を持ち合わせている。 | + | *孔明本人の人物評に関して、後に実装された[[陳宮]]がマイルームにてかなり辛辣な内容で評価・言及している。その中で「本人の実力は高いが、他人を見る目が無く弟子にも恵まれていない(要約)」とあり、依り代であるエルメロイⅡ世はその対極「本人の実力は低いが、他人を見る目は確かで多くの弟子に恵まれている」と(陳宮の推察が間違いでなければ)<ref group = "注">実際、君主である劉備は同じく「知勇どちらも名だたる英傑に及ばないが、人望と鑑識眼に優れた」とされており、彼の遺言にて実力以上の見栄を張るから大事を任せないよう言付けられた馬謖を重用した結果街亭の戦いにて敗戦を喫し撤退を余儀なくされた。劉備没後の後任に関しても「劉禅が仕える価値のない暗愚であれば迷わず国を治めてくれ」との遺言に対し、忠を尽くすべく帝位に劉禅を置いたが、劉禅の放蕩ぶりと孔明没後の蜀の零落を見るに劉禅に王の資質があったかは疑問である。また、愛弟子である姜維に関しても彼のために策を弄してまで敵対国である魏から引き抜いて後継者として手元に置いたが、彼は孔明の没後に勝機を見定められぬまま幾度となく北伐を繰り返し国力を疲弊させ、西晋への降伏へと繋がった。降伏の後、晋王である司馬昭は「諸葛亮が御しきれなかったのに姜維には尚更無理だっただろう」と語っており、孔明自身の能力の高さに対し仲間の不甲斐なさなどを遠回しに表してると言え、陳宮の推察は的を射た発言といえる。</ref>見事なまでに真逆の性質を持ち合わせている。 |