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: ……まぁ、逸話さえあれば宝具扱いになるのはいつものことなので、史実通りかどうかは関係ないのだが。
: ……まぁ、逸話さえあれば宝具扱いになるのはいつものことなので、史実通りかどうかは関係ないのだが。
: なお、合戦において信長自身が鉄砲を撃っていたことも少々ある他、本能寺の変の際には初めに弓を取って戦ったといわれるので、飛び道具を使ったという伝承が全くないわけではない。
: なお、合戦において信長自身が鉄砲を撃っていたことも少々ある他、本能寺の変の際には初めに弓を取って戦ったといわれるので、飛び道具を使ったという伝承が全くないわけではない。
; 「アーチャー」ってラスボスなの?
; 「アーチャー」ってラスボスなの?
: 「ラスボスがアーチャーなのはFateのお約束ですよね!」と紹介されているが、実際は「[[クラス (アーチャー)|アーチャー]]」のクラスのサーヴァントがラスボスだったことはほとんどない。というか[[ギルガメッシュ]]'''以外は今の所該当してない'''。
: 「ラスボスがアーチャーなのはFateのお約束ですよね!」と紹介されているが、実際は「[[クラス (アーチャー)|アーチャー]]」のクラスのサーヴァントがラスボスだったことはほとんどない。というか[[ギルガメッシュ]]'''以外は今の所該当してない'''。
:: 『[[Fate/Zero]]』での[[ギルガメッシュ|アーチャー]]がラスボスかどうかは微妙なところである。確かにラストバトルの場にはいたものの、そこに辿りつくまでにメインの[[バーサーカー (第四次)|イベント戦闘]]を済ませていた[[セイバー]]からは「聖杯を目前にしての障害物」程度の認識であり、一応の主人公である[[衛宮切嗣]]にとってはもはや視界にも入っていない。
:: 『[[Fate/Zero]]』での[[ギルガメッシュ|アーチャー]]がラスボスかどうかは微妙なところである。確かにラストバトルの場にはいたものの、そこに辿りつくまでにメインの[[バーサーカー (第四次)|イベント戦闘]]を済ませていた[[セイバー]]からは「聖杯を目前にしての障害物」程度の認識であり、一応の主人公である[[衛宮切嗣]]にとってはもはや視界にも入っていない。
:: もっとも、『コハエース』的な意味での『Zero』クライマックスは冬木大橋がオケアノスすぎたアニメ23話だったっぽいので、[[ライダー (第四次)|ライダー]][[ウェイバー・ベルベット|陣営]]からしてみれば確かにアーチャーはラスボスといってもいい……のかもしれない。
:: もっとも、『コハエース』的な意味での『Zero』クライマックスは冬木大橋がオケアノスすぎたアニメ23話だったっぽいので、[[ライダー (第四次)|ライダー]][[ウェイバー・ベルベット|陣営]]からしてみれば確かにアーチャーはラスボスといってもいい……のかもしれない。
; 日本一有名な英雄
; 日本一有名な英雄
: 日本において、文句なしで知名度ナンバーワンの英霊。これまで信長が登場する小説、漫画、ゲーム、映画やドラマのタイトル合計数は'''100'''をとっくに超えており、[[桜セイバー|新撰組]]や[[牛若丸|源義経]]でさえ足元にも及ばない。
: 日本において、文句なしで知名度ナンバーワンの英霊。これまで信長が登場する小説、漫画、ゲーム、映画やドラマのタイトル合計数は'''100'''をとっくに超えており、[[桜セイバー|新撰組]]や[[牛若丸|源義経]]でさえ足元にも及ばない。
: 武田信玄が信長の一向一揆や寺社に対する弾発を批判する手紙を信長に送った際、当時仏教の最高権威であった天台宗を味方につけ、『自分が仏教の守護者である』という意味を込めて「天台座主沙門信玄」と署名をした。その手紙を見た信長は「'''お前が仏教の代表者を名乗るなら、自分は仏教を滅ぼす魔王だ'''」と皮肉を込め、「第六天魔王」の署名で手紙を返したという。
: 武田信玄が信長の一向一揆や寺社に対する弾発を批判する手紙を信長に送った際、当時仏教の最高権威であった天台宗を味方につけ、『自分が仏教の守護者である』という意味を込めて「天台座主沙門信玄」と署名をした。その手紙を見た信長は「'''お前が仏教の代表者を名乗るなら、自分は仏教を滅ぼす魔王だ'''」と皮肉を込め、「第六天魔王」の署名で手紙を返したという。
: 余談だが、欲界の主である第六天魔王波旬に[[殺生院キアラ|在り方が非常に近い人物]]が既に登場している。
: 余談だが、欲界の主である第六天魔王波旬に[[殺生院キアラ|在り方が非常に近い人物]]が既に登場している。
; 政教分離の立役者
; 政教分離の立役者
: 現在の日本は世界で最も政教分離が進んだ国だが、その礎を築いたのが信長である。上述の仏教弾圧の一面ばかりが強調されているが、禅宗の寺社仏閣の保護に務めている他、石山本願寺との和解後は浄土真宗の保護も行っている。比叡山の焼打ちなどの苛烈な弾圧を行ってきたのは、彼らが自身の覇道に立ち塞がる敵だった為であったことであり、実態としても求道者とは言い難い軍事組織であったからである。一方で政治に介入してくる事だけは極度に嫌っており、それは相手がキリスト教であっても同じ態度を取っている。
: 現在の日本は世界で最も政教分離が進んだ国だが、その礎を築いたのが信長である。上述の仏教弾圧の一面ばかりが強調されているが、禅宗の寺社仏閣の保護に務めている他、石山本願寺との和解後は浄土真宗の保護も行っている。比叡山の焼打ちなどの苛烈な弾圧を行ってきたのは、彼らが自身の覇道に立ち塞がる敵だった為であったことであり、実態としても求道者とは言い難い軍事組織であったからである。一方で政治に介入してくる事だけは極度に嫌っており、それは相手がキリスト教であっても同じ態度を取っている。
: その後の政教分離政策は秀吉の時代では刀狩りとバテレン追放令という形で現れ、江戸幕府が開かれると「寺社法度」という法律によって宗派の統制が行われるようになり、この時点で日本の政教分離は完成したと言える。
: その後の政教分離政策は秀吉の時代では刀狩りとバテレン追放令という形で現れ、江戸幕府が開かれると「寺社法度」という法律によって宗派の統制が行われるようになり、この時点で日本の政教分離は完成したと言える。
; 女性説の説得力
; 女性説の説得力
: 信長は青年の頃、女子と見まがう美男子であったとする記録がある。また500m向こうから声が聞こえたという逸話があるほど、かなり甲高い声であったとされ、あながち女性設定も不自然ではないのかもしれない。
: 信長は青年の頃、女子と見まがう美男子であったとする記録がある。また500m向こうから声が聞こえたという逸話があるほど、かなり甲高い声であったとされ、あながち女性設定も不自然ではないのかもしれない。
: 先に述べた作品群でも女性にされることは多い。理由としては女性にするだけで物語を組み立てるのが楽だからであろうか。実際、2012年と2013年には信長=女性としたスペシャルドラマが放映されている。
: 先に述べた作品群でも女性にされることは多い。理由としては女性にするだけで物語を組み立てるのが楽だからであろうか。実際、2012年と2013年には信長=女性としたスペシャルドラマが放映されている。
: ちなみに、信長以外では上杉謙信の女性説が有名である。
: ちなみに、信長以外では上杉謙信の女性説が有名である。
; 戦国三英傑
; 戦国三英傑
: 戦国三英傑とは、戦国時代を終わらせた3人の超人・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の事を指す言葉で、元々は3人の出身地である愛知県(当時の尾張と三河)で呼称されるようになったのが始まりである。実際、日本史を紐解いてもこの3人ほどずば抜けた逸話を持った英傑は存在しておらず、海外でも日本史は知らなくても3人は知っているという人物も多い。毎年行われる名古屋まつりでは、3人にちなんだ郷土英傑行列が行われている。
: 戦国三英傑とは、戦国時代を終わらせた3人の超人・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の事を指す言葉で、元々は3人の出身地である愛知県(当時の尾張と三河)で呼称されるようになったのが始まりである。実際、日本史を紐解いてもこの3人ほどずば抜けた逸話を持った英傑は存在しておらず、海外でも日本史は知らなくても3人は知っているという人物も多い。毎年行われる名古屋まつりでは、3人にちなんだ郷土英傑行列が行われている。
: とはいえ、これらの共通項として上げられるのは他の英雄にも当てはまる点が多く、また曹操と信長では時代・文化圏の違いを考慮しても異なる面が数多く存在し、同類視するには結構無理がある。
: とはいえ、これらの共通項として上げられるのは他の英雄にも当てはまる点が多く、また曹操と信長では時代・文化圏の違いを考慮しても異なる面が数多く存在し、同類視するには結構無理がある。
: ちなみに、中国の日本史専門家は「曹操と信長は似ていない。似ているのは徳川家康」と述べている。
: ちなみに、中国の日本史専門家は「曹操と信長は似ていない。似ているのは徳川家康」と述べている。
; ホトトギスと天下餅
; ホトトギスと天下餅
: 三英傑の性格と業績を表すキーワードとして広く知られている川柳と風刺唄。いずれも江戸後期(文政~天保期)に創作されたものだが、誰が創作したかは謎のままである。
: 三英傑の性格と業績を表すキーワードとして広く知られている川柳と風刺唄。いずれも江戸後期(文政~天保期)に創作されたものだが、誰が創作したかは謎のままである。
: なお、3人が有名すぎてあまり知られていないが、秀吉の家臣であった加藤清正にちなんだ「鳴け聞こう 我が領分の ホトトギス」というものも存在し、これは清正の家臣としての性分を表していると言われている。
: なお、3人が有名すぎてあまり知られていないが、秀吉の家臣であった加藤清正にちなんだ「鳴け聞こう 我が領分の ホトトギス」というものも存在し、これは清正の家臣としての性分を表していると言われている。
: 一方の天下餅の風刺唄「織田が突き、羽柴がこねし天下餅、座ったまま食うは徳川」は、元々は信長と秀吉の業績を家康が掠め取ったという意味の風刺唄だったが、現在では天下取りの様子を簡単に表したものと解釈されている。
: 一方の天下餅の風刺唄「織田が突き、羽柴がこねし天下餅、座ったまま食うは徳川」は、元々は信長と秀吉の業績を家康が掠め取ったという意味の風刺唄だったが、現在では天下取りの様子を簡単に表したものと解釈されている。
; 本能寺の変
; 本能寺の変
: 戦国最大のミステリーと呼ばれ、現在も大きな論争が巻き起こっている大事件。史実のみを抜き出すと、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都・本能寺に逗留していた織田信長を家臣の明智光秀が軍勢を率いて襲撃し、信長を自刃に追い込んだ。この時、光秀が発した「'''敵は本能寺にあり!'''」という言葉は歴史に残る名言の1つに数えられている。
: 戦国最大のミステリーと呼ばれ、現在も大きな論争が巻き起こっている大事件。史実のみを抜き出すと、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都・本能寺に逗留していた織田信長を家臣の明智光秀が軍勢を率いて襲撃し、信長を自刃に追い込んだ。この時、光秀が発した「'''敵は本能寺にあり!'''」という言葉は歴史に残る名言の1つに数えられている。
: この事件の最大の謎は、光秀が信長に反旗を翻す具体的な動機が不明な事である。事件直後から現在まで唱えられた説は大別すると光秀の単独犯説と黒幕説に二分されるが、いずれも決め手にはなっておらず、傍流にはイエズス会黒幕説すら存在する。
: この事件の最大の謎は、光秀が信長に反旗を翻す具体的な動機が不明な事である。事件直後から現在まで唱えられた説は大別すると光秀の単独犯説と黒幕説に二分されるが、いずれも決め手にはなっておらず、傍流にはイエズス会黒幕説や秀吉黒幕説すら存在する。
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