:自国の貴族に対して容赦のないヴラド三世だが、そこには「貴族によって肉親を殺された」ことによる背景・影響が存在したのかもしれない。<br />彼の父ヴラド二世および兄のミルチャは、ワラキアの地方貴族によって暗殺されたとされる。当時ハンガリーの摂政だったフニャディ・ヤーノシュとヴラド二世は対立していたため彼によって殺されたという説も存在するが、ヴラド三世がヤノーシュに敵討をした話はない。だが父と兄を殺したとされる地方貴族には復讐を行ったことから、実際に手を下したのはやはりワラキア貴族であったと思われる。元々ワラキアは貴族の力が強く、彼らによって君主が変えられることも度々だった。だがそうだとしても自分の父と兄を殺した(もしくは見殺しにした)ワラキアの貴族たちはヴラド三世にとって裏切り者に違いはなかっただろう。ヴラド三世が国内貴族に対して苛烈なまでの粛清を行った背景に、こういった出来事が影響していた可能性は否定できない。 | :自国の貴族に対して容赦のないヴラド三世だが、そこには「貴族によって肉親を殺された」ことによる背景・影響が存在したのかもしれない。<br />彼の父ヴラド二世および兄のミルチャは、ワラキアの地方貴族によって暗殺されたとされる。当時ハンガリーの摂政だったフニャディ・ヤーノシュとヴラド二世は対立していたため彼によって殺されたという説も存在するが、ヴラド三世がヤノーシュに敵討をした話はない。だが父と兄を殺したとされる地方貴族には復讐を行ったことから、実際に手を下したのはやはりワラキア貴族であったと思われる。元々ワラキアは貴族の力が強く、彼らによって君主が変えられることも度々だった。だがそうだとしても自分の父と兄を殺した(もしくは見殺しにした)ワラキアの貴族たちはヴラド三世にとって裏切り者に違いはなかっただろう。ヴラド三世が国内貴族に対して苛烈なまでの粛清を行った背景に、こういった出来事が影響していた可能性は否定できない。 |