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史実に存在し、実在が確認されている人物。1560年生、1614年没。ハンガリー家の名家、ドラゴンの歯を紋章とするバートリ家に生まれる。<br>美しい吸血鬼カーミラのモデルのひとりであり、600人以上の娘の生き血を浴び、己の美貌を保とうとした悪女とされている。
 
史実に存在し、実在が確認されている人物。1560年生、1614年没。ハンガリー家の名家、ドラゴンの歯を紋章とするバートリ家に生まれる。<br>美しい吸血鬼カーミラのモデルのひとりであり、600人以上の娘の生き血を浴び、己の美貌を保とうとした悪女とされている。
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バートリ家は東欧圏のほとんどに勢力を持つ名家であり、彼女はさらにハブスブルグの血をも引く貴族のサラブレッドと言える血筋を持つが、近親婚や鬱蒼とした生活環境等の要因で狂気と残忍さに彩られた者が多いバートリ家の宿命から逃れることはできず、彼女自身もまた狂気を孕んでいた。<br>むしろバートリ家の中でもその狂気的行動が著名な人物であり、現在のスロバキアにあった自城のチェイテ城にて、600人以上の少女を拷問の末に殺し、その生き血を使用したブラッドバスを好んだとされている。<br>当時、貴族にとっては自身の領地の平民はペットと同列の存在というのが常識であり、彼女の虐殺に眉をひそめはしても、咎める者は周囲にいなかった。しかし、その残虐行為の魔の手が貴族の娘にまで伸びたこと、一人の少女が彼女の監禁城から命からがら逃げ出して助けを求めたことで、ついにその残虐行為の咎を受けることになる。
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バートリ家は東欧圏のほとんどに勢力を持つ名家であり、彼女はさらにハブスブルグの血をも引く貴族のサラブレッドと言える血筋を持つが、近親婚や鬱蒼とした生活環境等の要因で狂気と残忍さに彩られた者が多いバートリ家の宿命から逃れることはできず、彼女自身もまた狂気を孕んでいた。<br>むしろバートリ家の中でもその狂気的行動が著名な人物であり、現在のスロバキアにあった自城のチェイテ城にて、600人以上の少女を拷問の末に殺し、その生き血を使用したブラッドバスを好んだとされている。
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当時、貴族にとっては自身の領地の平民はペットと同列の存在というのが常識であり、彼女の虐殺に眉をひそめはしても、咎める者は周囲にいなかった。しかし、その残虐行為の魔の手が貴族の娘にまで伸びたこと、一人の少女が彼女の監禁城から命からがら逃げ出して助けを求めたことで、ついにその残虐行為の咎を受けることになる。
    
1611年、当人欠席の上での裁判で有罪判決を受け、彼女はチェイテ城の一室に幽閉された。<br>娘を差し出した父や、彼女の親族、貴族社会の同胞達は自らの罪悪感を隠すように彼女の牢獄を石で覆い隠し、彼女は「なぜ?」「どうして?」「私、何も悪いコトはしていないのに」と窓すらもない密室の中で訴え続けたが、うるさく思った兵士に明かり窓を塞がれ、ついに訴えることもしなくなった。<br>1614年8月21日。明かり窓を塞がれて以降、生きた姿を直接見た者がいなくなった彼女は、食事の腐敗臭に気付いた兵士により、絶命を確認された。以後、彼女は血の伯爵夫人として伝説となった。
 
1611年、当人欠席の上での裁判で有罪判決を受け、彼女はチェイテ城の一室に幽閉された。<br>娘を差し出した父や、彼女の親族、貴族社会の同胞達は自らの罪悪感を隠すように彼女の牢獄を石で覆い隠し、彼女は「なぜ?」「どうして?」「私、何も悪いコトはしていないのに」と窓すらもない密室の中で訴え続けたが、うるさく思った兵士に明かり窓を塞がれ、ついに訴えることもしなくなった。<br>1614年8月21日。明かり窓を塞がれて以降、生きた姿を直接見た者がいなくなった彼女は、食事の腐敗臭に気付いた兵士により、絶命を確認された。以後、彼女は血の伯爵夫人として伝説となった。
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== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
 
;バートリ家とハプスブルグ家
 
;バートリ家とハプスブルグ家
:ハプスブルグ家と縁戚関係にあるバートリ家だが、実の所、両者の関係は非常に険悪で、激しい権力闘争を繰り広げてきた歴史がある。<br />彼女が逮捕されたのは、従弟であるトランシルヴァニア公がハプスブルグ家への戦争を準備していた時期と重なっており、チェイテ城での残虐行為への咎よりもバートリ家の機先を制するのが逮捕・幽閉の主要な目的だったと推測される。<br />更に言えば、チェイテ城で行われたとされる数々の残虐行為自体がハプスブルグ家によって意図的に誇張・歪曲された可能性も否定できない。なお、彼女の死後もバートリ家を中心とするマジャール系貴族とハプスブルグ家は権力闘争を続け、時には戦端を開く事も多かった。
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:ハプスブルグ家と縁戚関係にあるバートリ家だが、実の所、両者の関係は非常に険悪で、激しい権力闘争を繰り広げてきた歴史がある。<br>彼女が逮捕されたのは、従弟であるトランシルヴァニア公がハプスブルグ家への戦争を準備していた時期と重なっており、チェイテ城での残虐行為への咎よりもバートリ家の機先を制するのが逮捕・幽閉の主要な目的だったと推測される。<br />更に言えば、チェイテ城で行われたとされる数々の残虐行為自体がハプスブルグ家によって意図的に誇張・歪曲された可能性も否定できない。なお、彼女の死後もバートリ家を中心とするマジャール系貴族とハプスブルグ家は権力闘争を続け、時には戦端を開く事も多かった。
    
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