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→直死の魔眼
: 死の線・点は「常人には認識できないが、常にそこにあって誰にでも殺せるもの」ではなく、直死の効果が現れるのは魔眼保持者が眼で捉えた場合のみ。直死の能力を持たない他者が直死の能力者がいない場で「ここに線がある」と線を切っても効果は発生しない。[[空の境界]]では[[臙条巴]]が式の行動を元に式が居ない場面で[[荒耶宗蓮]]の点を突こうとしたが、眼で捉えた上でないと意味がないと一蹴されている。
: 死の線・点は「常人には認識できないが、常にそこにあって誰にでも殺せるもの」ではなく、直死の効果が現れるのは魔眼保持者が眼で捉えた場合のみ。直死の能力を持たない他者が直死の能力者がいない場で「ここに線がある」と線を切っても効果は発生しない。[[空の境界]]では[[臙条巴]]が式の行動を元に式が居ない場面で[[荒耶宗蓮]]の点を突こうとしたが、眼で捉えた上でないと意味がないと一蹴されている。
: なお、いかに対象に絶対的な死をもたらす直死の魔眼を持っていても、それだけでは人外のバケモノである[[死徒]]や[[魔術|魔術師]]、超能力者を相手に切った張ったができるわけではない。死の線が見えてそこをなぞりさえすればどんな対象でも殺せるといっても、例えば死徒を相手に白兵戦をやれば、普通は相手の死の線に触れる前に殴り殺されるだけである。
: なお、いかに対象に絶対的な死をもたらす直死の魔眼を持っていても、それだけでは人外のバケモノである[[死徒]]や[[魔術|魔術師]]、超能力者を相手に切った張ったができるわけではない。死の線が見えてそこをなぞりさえすればどんな対象でも殺せるといっても、例えば死徒を相手に白兵戦をやれば、普通は相手の死の線に触れる前に殴り殺されるだけである。
: [[両儀式]]、[[遠野志貴]]共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的な[[サーヴァント]]と戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されている(しかし「両儀式」ならば防衛戦までは出来るという)。
: [[両儀式]]、[[遠野志貴]]共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的な[[サーヴァント]]と戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されているが、刀を装備した式ならば防衛戦までは出来るという。(尚、終末録音においては刀を装備した両義式はエクスカリバーを装備したアーサー王に匹敵すると描写されている)
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; 死の線・点が存在する部位にしか効果がない
; 死の線・点が存在する部位にしか効果がない
: 二年間の昏睡により、もともと『 』に繋がっている式の体の機能の一部が解放されたもの。「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によると、彼女もまた「淨眼」が変化したモノだという。死を視る際は、眼球の色が青赤く輝く。
: 二年間の昏睡により、もともと『 』に繋がっている式の体の機能の一部が解放されたもの。「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によると、彼女もまた「淨眼」が変化したモノだという。死を視る際は、眼球の色が青赤く輝く。
: 持って生まれた能力であり、肉体のスペックが異なるため、志貴と違って脳に負担がかからない為に使い手としては彼女の方が数段上との事。普段は、焦点をズラして物事を俯瞰することで異様な視界と折り合いをつけている。「少し気を許しただけで視えてしまっていた」とされており、制御が難しい事が示唆されている。作中では橙子に魔眼殺しの作製を打診されているが、「必要ない」とにべもなく断っている。
: 持って生まれた能力であり、肉体のスペックが異なるため、志貴と違って脳に負担がかからない為に使い手としては彼女の方が数段上との事。普段は、焦点をズラして物事を俯瞰することで異様な視界と折り合いをつけている。「少し気を許しただけで視えてしまっていた」とされており、制御が難しい事が示唆されている。作中では橙子に魔眼殺しの作製を打診されているが、「必要ない」とにべもなく断っている。
: 上記の通り普段は「死の点」は視えないが、その気になれば「死の線の渦」という形で「死の点」を意識し、「死の点」として代用も出来る。ただ、これは式を以てしてもそれなりの負担がかかるらしく、意識の大半が真っ白になり「脳が過熱でもしているのか」と描写されている。
: 上記の通り「死の点」は視えないが、その気になれば「死の線」を「死の点」として代用も出来る。また、その気になれば「死の線の渦」という形で「死の点」を意識し、通常では死が見えない対象をも殺す事が出来る。ただ、これは式を以てしてもそれなりの負担がかかるらしく、意識の大半が真っ白になり「脳が過熱でもしているのか」と描写されている。
: また、「概念」として存在するものも「殺せる」という特性がある。仮に目を潰したとしても、「死を知覚できる」という能力そのものは失われることはない。
: また、「概念」として存在するものも「殺せる」という特性がある。仮に目を潰したとしても、「死を知覚できる」という能力そのものは失われることはない。