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:彼女が「クリミアの天使」と呼ばれる由縁となった、クリミア半島などを舞台として行われた戦争。
 
:彼女が「クリミアの天使」と呼ばれる由縁となった、クリミア半島などを舞台として行われた戦争。
 
:ロシア・オスマン帝国間で起きた争いにフランス・イギリスが介入したことで大規模かつ泥沼化した。<ref group = "注">クリミア半島のセヴァストポリ要塞が主戦場となった事が戦争の名称の由来だが、細かい戦闘も含めると西は北海沿岸からドナウ川流域、南はバルカン半島一帯、更には極東のカムチャッカ半島周辺までもが戦場となった。</ref>
 
:ロシア・オスマン帝国間で起きた争いにフランス・イギリスが介入したことで大規模かつ泥沼化した。<ref group = "注">クリミア半島のセヴァストポリ要塞が主戦場となった事が戦争の名称の由来だが、細かい戦闘も含めると西は北海沿岸からドナウ川流域、南はバルカン半島一帯、更には極東のカムチャッカ半島周辺までもが戦場となった。</ref>
:特派員などにより、クリミア戦争の前線における負傷者の扱いが如何に悲惨な状況となっているかがイギリス本国にも伝わり、ナイチンゲール自身も自ら看護婦として従軍する決意を固めることとなった。ちなみにロシアとオスマン帝国の直接対立の発端には、ナポレオン三世(有名なナポレオン一世の甥にあたる人物)が聖地管理権を獲得した動きが多分に影響している。ある意味ではクリミア戦争の発端となったこのナポレオン三世、クリミア戦争の後にソルフェリーノの戦いにもフランス軍を率いて戦い、混戦の結果両陣営に多くの負傷者を出した。この戦争にはナイチンゲール自身は関与してはいないが、後に赤十字社を創設するアンリ・デュナンがこの戦いの現場に遭遇しており、戦場の惨状に強い衝撃を受けたことがきっかけに赤十字運動へと繋がっていく。ただし、ナイチンゲールは赤十字の理念には否定的で、これは赤十字活動が無償のボランティアを主体としていたことによる。彼女は看護の仕事を「専門職」と規定しており、そのためには「犠牲なき奉仕」、「確固とした経済的援助の存在」が重要と説いていた。
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:特派員などにより、クリミア戦争の前線における負傷者の扱いが如何に悲惨な状況となっているかがイギリス本国にも伝わり、ナイチンゲール自身も自ら看護婦として従軍する決意を固めることとなった。ちなみにロシアとオスマン帝国の直接対立の発端には、ナポレオン三世(有名なナポレオン一世の甥にあたる人物)が聖地管理権を獲得した動きが多分に影響している。ある意味ではクリミア戦争の発端となったこのナポレオン三世、クリミア戦争の後にソルフェリーノの戦いにもフランス軍を率いて戦い、混戦の結果両陣営に多くの負傷者を出した。この戦争にはナイチンゲール自身は関与してはいないが、後に赤十字社を創設するアンリ・デュナンがこの戦いの現場に遭遇しており、戦場の惨状に強い衝撃を受けたことがきっかけに赤十字運動へと繋がっていく。ただし、ナイチンゲールは赤十字の理念には否定的で、これは赤十字活動が無償のボランティアを主体としていたことによる。彼女は看護の仕事を「専門職」と規定しており、「犠牲なき献身こそ真の奉仕」、「確固とした経済的援助の存在が重要」と説いていた。
 
:なお、クリミア戦争の結果、脆弱だったウィーン体制<ref group = "注">1815年のウィーン会議で成立した体制で、ナポレオン戦争で混乱したヨーロッパを絶対王制の下で安定させる為に誕生した。</ref>は完全に崩壊し、第二次世界大戦が終結する1945年までヨーロッパでは戦乱が続く事になる。
 
:なお、クリミア戦争の結果、脆弱だったウィーン体制<ref group = "注">1815年のウィーン会議で成立した体制で、ナポレオン戦争で混乱したヨーロッパを絶対王制の下で安定させる為に誕生した。</ref>は完全に崩壊し、第二次世界大戦が終結する1945年までヨーロッパでは戦乱が続く事になる。
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;彼女「以前」と、彼女「以後」
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:上記の通り、ナイチンゲールは「近代看護師の祖」であるが、当然の事ながら「看護師(以下、当時の呼称に倣い看護婦)」という職業自体は彼女が登場する前から存在した。
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:だが、これまた上記の通り当時の看護婦は践業とみなされており、どのくらい地位が低かったと言うと、'''「娼婦と同程度かそれよりは多少マシ」'''というレベルで、仕事内容は医師の雑用係程度の専門知識も技術も必要ない雑多なものばかり。本人達の素行も悪く、患者の持ち物をくすねる、誘惑して享楽にふけるなどは日常茶飯事で、到底まともな人間の就く職業ではなかった。
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:ただし、この当時でも看護婦に教育を施す機関がなかったわけではなく、ナイチンゲールはドイツのカイゼルスベルト学園で学んでいる。
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:そして、クリミア戦争を経て看護の近代化の必要性を痛感した彼女は、戦時中から募っていた基金を使い、現在のキングス・カレッジ・ロンドンに世界初の非宗教系看護学校であるナイチンゲール看護学校を設立する。その後、イギリス各地に同様の看護学校が設立され、現代につながる近代的な看護婦の教育体制が構築されていった。
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:また、彼女は生涯に多数の著作を残しており、中でも『看護覚え書』は現在でもバイブルとして読み継がれている。
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:その他、統計学者として、「ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム」を考案したり、建築学者として「ナイチンゲール病棟」を考案、建設するなど、その功績は枚挙に暇がない。
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:その功績の多彩さは[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]を彷彿とさせるが、彼が気の向くままに創作に励んでいたのに対し、ナイチンゲールは全てにおいて'''看護の発展という一点のみ'''を目的として活動していたという点において異なる。
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:彼女自身は生涯独身で子孫を残すことはなかったが、現在でも彼女の衣鉢を継ぐ「天使」達が世界中で活動を続けている。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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