− | :料理上手とされるサーヴァントには[[エミヤ]]や[[玉藻の前]]などがいるが、実はデュマも美食家・料理上手としての側面がある。『Fake』作中でも「美味い飯」について言及するシーンが幾度となく存在するが、史実では単に美食趣味なだけではなく自ら腕を振るって料理を作っており、その腕前は趣味の域を越えていたという。料理へのこだわりは並々ならぬもので、旅先では珍しい料理を必ず食べてはその調理法をレシピにまとめ、帰ってから自ら再現したともいい、'''「サラダを召使いに作らせるのは料理に対する甚だしい冒漬行為」''' '''「パスタなど香料入りのソースの下に隠された湿った洗濯物にすぎない」'''などといった<del>極論じみた</del>言葉も伝わっている。「自分で狩った肉を自ら捌き、調理して客をもてなした」という逸話もある。67歳の頃にはこれまでの美食人生の集大成として『大料理事典』なる本を執筆しており、その総ページ数は実に1156ページにも及ぶ。デュマはこの本の刊行(1873年)を待つ事なく68歳で没した。<br>彼の遺したレシピは、彼の小説の構成法を考察する上で重要な資料となっており、「本物を越える創作を生み出す」という彼の能力の一端がここに垣間見えているとも言えるかもしれない。 | + | :料理上手とされるサーヴァントには[[エミヤ]]や[[玉藻の前]]などがいるが、実はデュマも美食家・料理上手としての側面がある。『Fake』作中でも「美味い飯」について言及するシーンが幾度となく存在するが、史実では単に美食趣味なだけではなく自ら腕を振るって料理を作っており、その腕前は趣味の域を越えていたという。料理へのこだわりは並々ならぬもので、旅先では珍しい料理を必ず食べてはその調理法をレシピにまとめ、帰ってから自ら再現したともいい、'''「サラダを召使いに作らせるのは料理に対する甚だしい冒漬行為」''' '''「パスタなど香料入りのソースの下に隠された湿った洗濯物にすぎない」'''などといった<del>極論じみた</del>言葉も伝わっている。「自分で狩った肉を自ら捌き、調理して客をもてなした」という逸話もある。晩年、これまでの美食人生の集大成として『大料理事典』なる本を執筆しており、その総ページ数は実に1156ページにも及ぶ。デュマはこの本の刊行(1873年)を見る事なく68歳で没した。<br>彼の遺したレシピは、彼の小説の構成法を考察する上で重要な資料となっており、「本物を越える創作を生み出す」という彼の能力の一端がここに垣間見えているとも言えるかもしれない。 |