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: 中国史屈指の勇名を誇る項羽の、故事成語ともなった武の具現。
 
: 中国史屈指の勇名を誇る項羽の、故事成語ともなった武の具現。
 
: 人間型の躯体で召喚された場合には対人宝具として発動するが、異聞帯において付加された人馬型という異形の形態は、個人の武の威力を大量殺戮兵器にまで拡大してしまった。
 
: 人間型の躯体で召喚された場合には対人宝具として発動するが、異聞帯において付加された人馬型という異形の形態は、個人の武の威力を大量殺戮兵器にまで拡大してしまった。
:『Fate/Grand Order』では「自身の宝具威力をアップ<ref>1ターン</ref><ref>オーバーチャージで効果UP</ref>&敵全体に強力な攻撃」という効果のQuick宝具。
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:『Fate/Grand Order』では「自身の宝具威力をアップ<ref group = "注">1ターン</ref><ref group = "注">オーバーチャージで効果UP</ref>&敵全体に強力な攻撃」という効果のQuick宝具。
    
== 真名:項羽 ==
 
== 真名:項羽 ==
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:最愛の妻。京劇の「'''覇王別姫'''」は、彼女との別れの場面を描いたものである。
 
:最愛の妻。京劇の「'''覇王別姫'''」は、彼女との別れの場面を描いたものである。
 
:自分と別れた後も永遠を生きる彼女の行く末が、機械として生きた彼にとっての唯一の心残りとなった。
 
:自分と別れた後も永遠を生きる彼女の行く末が、機械として生きた彼にとっての唯一の心残りとなった。
:本人が天然なのか自分の前での彼女しか知らない為か、'''「温和な淑女」'''と実態とはかけ離れた印象<ref>しかしよく見られるツンケンした性格は、人類に迫害された過去に基づくものなため、本来の性格が項羽だけに見せる「温和な淑女」である可能性もある</ref>を抱いている。
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:本人が天然なのか自分の前での彼女しか知らない為か、'''「温和な淑女」'''と実態とはかけ離れた印象<ref group = "注">しかしよく見られるツンケンした性格は、人類に迫害された過去に基づくものなため、本来の性格が項羽だけに見せる「温和な淑女」である可能性もある</ref>を抱いている。
    
;[[韓信]]
 
;[[韓信]]
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**ある戦いでは、寝込みを急襲したような形になったとはいえ、3万の軍勢で56万の漢軍を殲滅、そのうち20万を殺害…という冗談としか思えないような戦果を上げている。
 
**ある戦いでは、寝込みを急襲したような形になったとはいえ、3万の軍勢で56万の漢軍を殲滅、そのうち20万を殺害…という冗談としか思えないような戦果を上げている。
 
*異聞帯では理知的となっているが、史実の項羽は非常に短絡的な思考の持ち主で、それに伴う数々の失敗で劉邦に敗北する。
 
*異聞帯では理知的となっているが、史実の項羽は非常に短絡的な思考の持ち主で、それに伴う数々の失敗で劉邦に敗北する。
**特に『史記』を編纂した司馬遷は項羽を「自らの失敗を認めないのは、荒唐無稽にすぎる」と手厳しい。ただし、司馬遷は漢王朝の歴史家なので、漢にとって最大の強敵だった項羽を悪し様に描いている可能性は否定出来ない。その一方で、史記において項羽を王者として扱っており<ref>家臣たちの記録である「列伝」や諸侯の記録である「世家」ではなく、中華の支配者の記録である「本紀」に項羽を位置づけている。秦末の動乱期に王を称した人物はほとんど列伝か世家で、項羽のみ別格の扱いとなっている。そもそも、項羽というのは性+字(あざな)で姓名ではない。中国では目上以外の人間が、当該人物を名で呼ぶのは無礼とされ、その代わりに字で呼んでいた。従って、本来なら項籍と書くべきところを、項羽と書くのは尊敬の現われであり、史書において実名を書かない待遇を受けているのは、皇帝を除いてはほんの僅かである。</ref>、また項羽の最後の場面を極めてかっこよく、感動的に書いているので作家の田中芳樹は「司馬遷は項羽のことが、実は好きで好きでたまらなかったのでは」と述べている。
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**特に『史記』を編纂した司馬遷は項羽を「自らの失敗を認めないのは、荒唐無稽にすぎる」と手厳しい。ただし、司馬遷は漢王朝の歴史家なので、漢にとって最大の強敵だった項羽を悪し様に描いている可能性は否定出来ない。その一方で、史記において項羽を王者として扱っており<ref group = "注">家臣たちの記録である「列伝」や諸侯の記録である「世家」ではなく、中華の支配者の記録である「本紀」に項羽を位置づけている。秦末の動乱期に王を称した人物はほとんど列伝か世家で、項羽のみ別格の扱いとなっている。そもそも、項羽というのは性+字(あざな)で姓名ではない。中国では目上以外の人間が、当該人物を名で呼ぶのは無礼とされ、その代わりに字で呼んでいた。従って、本来なら項籍と書くべきところを、項羽と書くのは尊敬の現われであり、史書において実名を書かない待遇を受けているのは、皇帝を除いてはほんの僅かである。</ref>、また項羽の最後の場面を極めてかっこよく、感動的に書いているので作家の田中芳樹は「司馬遷は項羽のことが、実は好きで好きでたまらなかったのでは」と述べている。
 
**項羽と劉邦の双方に仕え重用された陳平は、劉邦の人柄を「傲慢で無礼」としている一方で項羽の人柄を「恭敬で人を愛する」と評している。なので「理知的で礼儀正しい項羽」というのは、史実からそう外れたキャラ付けではない。
 
**項羽と劉邦の双方に仕え重用された陳平は、劉邦の人柄を「傲慢で無礼」としている一方で項羽の人柄を「恭敬で人を愛する」と評している。なので「理知的で礼儀正しい項羽」というのは、史実からそう外れたキャラ付けではない。
 
**ただし上記の評価はその後に「褒美を出し惜しむので人が従わない」と続き、劉邦のほうは「褒美をよく出すので利を好む連中が集ってくる」と続く。項羽がケチであることは、同時代の人物の多くが証言しており、秦末から楚漢戦争に突入していく切っ掛けの一つにもなった。一個人としてどちらの人格が優れていたかはともかく、君主として劉邦が項羽に勝っていたのは間違いないだろう。
 
**ただし上記の評価はその後に「褒美を出し惜しむので人が従わない」と続き、劉邦のほうは「褒美をよく出すので利を好む連中が集ってくる」と続く。項羽がケチであることは、同時代の人物の多くが証言しており、秦末から楚漢戦争に突入していく切っ掛けの一つにもなった。一個人としてどちらの人格が優れていたかはともかく、君主として劉邦が項羽に勝っていたのは間違いないだろう。
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