*苛烈なエピソードは多く、秦の首都「咸陽」に進軍した際にはその進路上の都市を落とすと、軍民問わずに皆殺しにしていたが、結果的にこの方法は進退窮まった敵軍の猛烈な抵抗に合い、劉邦に咸陽制圧の先を越されてしまった。他にも秦の降将章邯と共に項羽に従った秦兵が反乱を起こそうとした際には20万人に夜襲を掛けて、丸ごと生き埋めにしたりするなど容赦がなく、自軍の軍師で亜父(父に次ぐ者)と呼んで信頼した范増にすら「他人にひどいことをすることに忍びない(我慢がない)」を評されている。 | *苛烈なエピソードは多く、秦の首都「咸陽」に進軍した際にはその進路上の都市を落とすと、軍民問わずに皆殺しにしていたが、結果的にこの方法は進退窮まった敵軍の猛烈な抵抗に合い、劉邦に咸陽制圧の先を越されてしまった。他にも秦の降将章邯と共に項羽に従った秦兵が反乱を起こそうとした際には20万人に夜襲を掛けて、丸ごと生き埋めにしたりするなど容赦がなく、自軍の軍師で亜父(父に次ぐ者)と呼んで信頼した范増にすら「他人にひどいことをすることに忍びない(我慢がない)」を評されている。 |