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願望機としての設定について。問題があるなら戻してください
:これこそが、聖杯の願望機としての大きな特徴であり、魔術との大きな違いである。そもそも、過程と理論(と、それを実現するための魔力)さえあれば魔術でも大抵の事はできる。だが、過程と理論を吹き飛ばして結果のみを現出させる事は、聖杯にしか出来ないのだ。
:これこそが、聖杯の願望機としての大きな特徴であり、魔術との大きな違いである。そもそも、過程と理論(と、それを実現するための魔力)さえあれば魔術でも大抵の事はできる。だが、過程と理論を吹き飛ばして結果のみを現出させる事は、聖杯にしか出来ないのだ。
:イリヤが魔術理論を知らずに魔術を行使出来るのも、これと同じ原理。また、アヴェンジャーによって汚染された聖杯が「必ず悪意を持って願いを叶える」ようになってしまったのも、この聖杯の特徴が仇になったためと言える(過程が定義されておらず、願いの叶え方は聖杯に一任されているからこそ、悪意に取る事が可能となる。過程を定義する必要があるなら、悪意に取りようがない)。
:イリヤが魔術理論を知らずに魔術を行使出来るのも、これと同じ原理。また、アヴェンジャーによって汚染された聖杯が「必ず悪意を持って願いを叶える」ようになってしまったのも、この聖杯の特徴が仇になったためと言える(過程が定義されておらず、願いの叶え方は聖杯に一任されているからこそ、悪意に取る事が可能となる。過程を定義する必要があるなら、悪意に取りようがない)。
:また、よく勘違いされるが、あくまでも「過程を入力しなくても願望を実現させる」だけであり、本当の意味で「過程を省く」わけではない。つまり、使用者が入力をする必要は無いが、過程と理論そのものは(聖杯側が用意するとはいえ)必ず必要になる。『Fate/Zero』で衛宮切嗣が絶望した理由も、聖杯が用意した方法論が、自分が否定したかった方法論(邪魔な者を皆殺しにすれば平和になるよね?)と完全に同一だったからである、
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:……と言うのが『stay night』における聖杯の設定であったのだが、『Zero』の聖杯は「切嗣が過程を思い描けなかったため、願いを叶える事が出来ない」と言う、初期設定と明らかに矛盾した描写が為されている。これでは聖杯の特徴が失われてしまい、「ただ魔力が沢山入っているだけの器」になってしまう(それはそれで貴重だが)。何より、『stay night』におけるイリヤや汚染聖杯の設定とも大きな齟齬をきたす事になる。
:……と言うのが『stay night』における聖杯の設定であったのだが、『Zero』の聖杯は「切嗣が過程を思い描けなかったため、願いを叶える事が出来ない」と言う、初期設定と明らかに矛盾した描写が為されている。これでは聖杯の特徴が失われてしまい、「ただ魔力が沢山入っているだけの器」になってしまう(それはそれで貴重だが)。何より、『stay night』におけるイリヤや汚染聖杯の設定とも大きな齟齬をきたす事になる。
:なお、汚染されていない『Apocrypha』の聖杯も、『Zero』の設定を踏襲している。物語の都合によるものか、最新の設定に倣っただけなのかは不明。
:なお、汚染されていない『Apocrypha』の聖杯も、『Zero』の設定を踏襲している。物語の都合によるものか、最新の設定に倣っただけなのかは不明。
:ただ、イリヤや汚染聖杯の事がある以上、『stay night』本編の設定まで変更されたとは考えにくい。「『Zero』と『Apocrypha』はパラレルワールドなので、本編と聖杯の設定が違う」と考えておいた方が良いだろう。
:ただ、イリヤや汚染聖杯の事がある以上、『stay night』本編の設定まで変更されたとは考えにくい。「『Zero』と『Apocrypha』はパラレルワールドなので、本編と聖杯の設定が違う」と考えておいた方が良いだろう。
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