関連
; ヨハネ黙示録
: この書に書かれていることで有名な「獣の数字(666の数)」は一説によると、「ローマ皇帝ネロのギリシャ語表記をヘブライ文字に置き換え、数値化し、その数を合計したものである」とも言われている。
: なお、この「666の獣」にまたがる「バビロンの妖婦」とはローマのことであり、厳密には彼女個人にあてられた異名ではない。
; ネロの出自
: 父の名はグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス。第4代皇帝クラウディウスのいとこにあたり、「淫蕩」と評される。
: 母の名は[[アグリッピナ|ユリア・アウグスタ・アグリッピナ]]。「暴帝」と言われる第3代皇帝[[カリギュラ]]の妹にあたる。
; 黄金劇場(ドムス・アウレア)
: 彼女自ら設計したと言われる。しかし、この劇場を開いた時、あまりの退屈さに一度目は多くの観客が途中で去ってしまった。
: それに憤慨した彼女は、二度目の公演時は劇場の出入り口をすべて封鎖し、舞台の幕が下りるまで一人たりとも外に出さなかったという。宝具「招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)」の由来となったエピソードである。
; 戦車御者
: ゲーム中の彼女の言葉によれば、「剣士」のクラスのみならず、「[[ライダー|騎兵]]」のクラスでもイケるらしい。アリーナを徒歩で探索するのに飽き、戦車を恋しがったりした。
: なお、何故「騎兵」にならなかったのかと言えば、「尻が痛い!」との事だが、ローマの戦車は立ち乗りであるため尻が痛くなる筈がない。
: 伝承ではオリンピックの戦車競技に出場し、戦車から落下したのに優勝になったと言われているので、技量の無さを誤魔化すための言い訳かもしれない。
; ネロ祭
: ギリシャのオリンピックにあやかって、59年(説によっては60年)に設立された、5年に一度開かれる競技会。音楽、体育、騎馬と三つの部門を開き、いくつかにはネロ自らも出場している。
; ローマの大火
: 西暦64年7月19日に発生した、ローマを焼き払うほどの大火災。ネロは為政者として迅速かつ適切に対応し、犠牲者を最小限に留めた。更にクラウディウス朝の私財を用いて被災者への保証とし、更に再建された都市区は徹底的な火災対策が為された。
: しかし再建された区画に建造された黄金宮殿と市街は、ネロが過去に趣味で設計した都市計画と全く同じだったことから、ローマ市民の間に「ネロは自分好みの都市を造るために放火させた」という噂が広まってしまう。
: この噂を払拭するためにネロはキリスト教徒たちを放火犯として処刑するが、その処刑法は(キリスト教に否定的だった当時のローマ市民から見ても)残忍なやり方だったため、更に「キリスト教徒に自らの罪を擦り付けた」と噂されてしまう。
: ネロ、キリスト教徒たちの関与は今以て不明だが、最も近い歴史書であるタキトゥスの『年代記』には事実であるかのように書かれていることから、当時においては大多数が信じていたのだろう。ネロは市民からの絶大な支持を背景に権勢を誇っていたが、これ以降はその力を失い元老院にも対抗できず、後の落日につながっていく。
; 国外への影響
: イギリス(ブリタニア)における後年のローマに対する人気は彼女の政策に起因する。ある意味では、「[[アルトリア・ペンドラゴン|アーサー王]]伝説」を誕生させたきっかけを作った人物ですらある。
: 加えてペルシャはネロを絶賛することおびただしく、ペルシャはネロの死後も「ネロの国だったので」とローマに大きく配慮したという。
; 頭痛持ち
: 諸説あり、「鉛の杯を愛用したゆえの中毒症状」「慢性的なヒステリー」などと言われる。これをゲーム中で彼女は否定し、「母親に盛られた毒が原因」と語った。
: なお、芸術を愛した彼女だが、このせいでせっかくの才能が台無しになっている。わかりやすい一例として、彼女は様々な媒体で音痴扱いされている。
; ネロの最期
: 一説には、ネロが自害した三日後、一人の兵士がネロの亡骸におそるおそる外套をかけると、「遅かったな。だが、大儀である」と、最後の言葉を遺したとも言う。
: 復活SKILL「三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)」はこの逸話を基にしていると思われる。