「韓信」を編集中
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:才能を認めて、元帥の称号を与えてくれた主君。しかし、皇帝に即位後は冷遇されたので反乱を企てるも失敗する。 | :才能を認めて、元帥の称号を与えてくれた主君。しかし、皇帝に即位後は冷遇されたので反乱を企てるも失敗する。 | ||
;蕭何 | ;蕭何 | ||
− | : | + | :自身を国士無双と呼んで劉邦に推挙してくれた恩人。一方で反乱の企てを阻止したのも彼であった。 |
;呂雉 | ;呂雉 | ||
:劉邦の妻で中国三大悪女の一人。彼女に反乱の企てを察知されてしまい、一族共々処刑された。 | :劉邦の妻で中国三大悪女の一人。彼女に反乱の企てを察知されてしまい、一族共々処刑された。 | ||
103行目: | 103行目: | ||
;「こちとら陛下が生身の頃から戦争三昧に付き合ってんだ。印度も潰した。埃及も滅した。羅馬も俺が滅ぼした」<br>「合間の平和なんてもんは見たこともねぇ。ずーっと氷漬けで寝てたからな」 | ;「こちとら陛下が生身の頃から戦争三昧に付き合ってんだ。印度も潰した。埃及も滅した。羅馬も俺が滅ぼした」<br>「合間の平和なんてもんは見たこともねぇ。ずーっと氷漬けで寝てたからな」 | ||
− | : | + | :咸陽での最終決戦時。生身の始皇帝を知る韓進の台詞。 |
:なお、この順番で滅ぼしているとなると、史実における古代西ローマ帝国の滅亡はA.D.476年なので、 | :なお、この順番で滅ぼしているとなると、史実における古代西ローマ帝国の滅亡はA.D.476年なので、 | ||
:およそ600年の間に3つのメジャー文明を滅ぼしていることになる。 | :およそ600年の間に3つのメジャー文明を滅ぼしていることになる。 | ||
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*服装はよく見ると当時の中国の武装にマント姿という普通の物だが、のっぺりした水色のマントであるためトレーナーを着崩しているようにも見え、オタクっぽさに拍車をかけている。 | *服装はよく見ると当時の中国の武装にマント姿という普通の物だが、のっぺりした水色のマントであるためトレーナーを着崩しているようにも見え、オタクっぽさに拍車をかけている。 | ||
*肩には雀が停まっているが、おそらくは司馬遼太郎の小説『項羽と劉邦』の中で韓信を評しての言葉「雀の体に鳳凰の翼が生えているような男<ref group="注">小物であるがそれに似つかわしくない異常な才能を秘めている、という意味であろう。</ref>」が元ネタと思われる。 | *肩には雀が停まっているが、おそらくは司馬遼太郎の小説『項羽と劉邦』の中で韓信を評しての言葉「雀の体に鳳凰の翼が生えているような男<ref group="注">小物であるがそれに似つかわしくない異常な才能を秘めている、という意味であろう。</ref>」が元ネタと思われる。 | ||
− | *中国異聞帯にて登場した急造装甲車「 | + | *中国異聞帯にて登場した急造装甲車「<ruby><rb>多多益善</rb><rp>(</rp><rt>ドゥオドゥオイーシャン</rt><rp>)</rp></ruby>号」は「史記」の「淮陰侯列伝」の逸話に由来する。劉邦が韓信に「私はどれくらいの将か」と尋ねると、韓信は「陛下はせいぜい十万の兵を率いる将です」と答えた。続けて「それなら君はどれくらいか」と尋ねると「多多益善(多ければ多いほどよい)」と答えた、というもの。 |
**ただし、その後に韓信は「'''自分は兵士の将だが、陛下は『将の将』です'''」と答え、劉邦に配慮をしている。この発言を聞いた劉邦は非常に上機嫌になったと伝えられている。 | **ただし、その後に韓信は「'''自分は兵士の将だが、陛下は『将の将』です'''」と答え、劉邦に配慮をしている。この発言を聞いた劉邦は非常に上機嫌になったと伝えられている。 | ||
*彼の代名詞とも言える「国士無双」の出典は『史記』淮陰侯列伝。「その国において最も優れ」「並ぶ者のいない」存在である事を指す。現代では麻雀の役名として主に知られるが、その麻雀とサイコロは韓信が発明したという俗説が台湾には存在する。 | *彼の代名詞とも言える「国士無双」の出典は『史記』淮陰侯列伝。「その国において最も優れ」「並ぶ者のいない」存在である事を指す。現代では麻雀の役名として主に知られるが、その麻雀とサイコロは韓信が発明したという俗説が台湾には存在する。 |