長尾景虎
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八華のランサー | |
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真名 | 長尾景虎 |
読み | ながお かげとら |
性別 | 女性 |
身長 | 167cm |
体重 | 53kg |
出典 | 史実 |
地域 | 日本 |
属性 | 秩序・善 |
声優 | 水樹奈々 |
デザイン | 武内崇 |
レア度 | ☆4 |
初登場作品 | ぐだぐだエース(仮) |
概要
- 略歴
- 『ぐだぐだエース(仮)』最終話にて「八華のランサー」として初登場した。
- 人物
- 和風の服装をした、長い銀髪の女性。
- 能力
ステータス
クラス | マスター | 筋力 | 耐久 | 敏捷 | 魔力 | 幸運 | 宝具 | クラス別能力 | 保有スキル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ランサー | 主人公 (Grand Order) | C | C | A | D+ | C+ | B | 対魔力:C 騎乗:C 神性:C |
運は天に在り:A 鎧は胸に在り:A 手柄は足に在り:A |
宝具
- 毘天八相車懸りの陣(びてんはっそうくるまがかりのじん)
- ランク:B
種別:対人/対軍宝具
レンジ:1~50
最大補足:1~100人 - 長尾景虎が得意としたといわれる車懸りの陣を対人戦に転化した宝具。
- 本来は軍勢をいくつかに分け、入れ代わり立ち代わり敵陣に攻めかかる陣形。
- 真名解放時には完全武装騎馬形態の景虎が8体に分身し、代わる代わる襲い掛かる必殺の一人車懸りの陣となる。
- 本来はライダークラスでなければ召喚不能な愛馬「放生月毛」を毘沙門天の名の下に強制召喚するという無法振りも披露する。
真名:長尾景虎
- ながおかげとら。戦においては日本無双の武将と謳われ、後年は軍神とも称された越後の戦国大名。
- 自らを「毘沙門天の化身」と称し、義をもって戦国の世を治めんと生涯戦い続けた。
- 内乱の続いていた越後の国を統一し、他国からの救援を受けては幾度となく出兵し、武田や北条などと数多の戦を繰り広げた。
- 戦場では常に先陣に立ち、圧倒的なカリスマと軍才によって軍団を統率し、生涯に70数余の戦を経験するが大きな戦いでの敗戦は一つもない。
- 生涯で幾度か改名しており長尾景虎、上杉政虎、最終的には上杉輝虎と名乗っている、最も有名な謙信の名は更に後に称した法号である。
- 景虎は常日頃悩んでいた。戦場では刀が良いのか、槍が良いのか。当たらないので使う必要のない鉄砲はともかく、如何な備えが最も強いのか。
- そしてある日、八本の刀を構える異形の毘沙門天像「刀八毘沙門天」と出会い開眼する。「刀も槍も全部持っていけばいい」と―――。
- 次の日。八華の備えと称して八つの武具を振り回し、戦場を元気に暴れまわる越後の軍神の姿があった。
- 最強無敵の戦国武将「フルアーマー景虎ちゃん」の誕生である。
- 毘沙門天の化身を称し、義という人の理を範として人を守護せんとした景虎であるが、人としてあまりにも強く生まれてしまった故に、か弱き人というものを解す事は生涯叶わなかった。
- 人の悲しみや怒りなどの感情の機微も理解できず、唯一笑うことでのみ周囲との折り合いをつけてきた景虎であるが、その超然的な振る舞いや言葉を受けた家臣達はやがては景虎を恐れ、それは転じて狂信的な信仰へと転化してゆく。
- そうして景虎は、より人ならぬ神仏の如きものとしての生き様を強いられることとなった。
- そんな景虎にとって戦場での命のせめぎ合い、相まみえる瞬間の生と死こそが人としての何かを感じる唯一の時でもあったのだ。
- その超然たる生き様は死後、彼女を軍神として神の座へと奉ることとなった。
- それは彼女にとって果たして本意であったのかどうか、もはや知る由もない。
- ―――毘沙門天ぞ是にあり。
登場作品と役柄
Fateシリーズ
- Fate/Grand Order
- 『オール信長総進撃 ぐだぐだファイナル本能寺2019』の開催に伴い実装。イベント報酬。
その他
- ぐだぐだエース
- 魔人アーチャーに続く新サーヴァントとして登場。
- 『帝都聖杯奇譚回顧録 昭和戦国絵巻』にて登場予定とのこと。ただし『帝都聖杯奇譚』同様、連載開始時期は未定。
人間関係
ぐだぐだエース
- 弓塚さつき
- 『帝都聖杯奇譚回顧録 昭和戦国絵巻』ではマスターになる予定の人物とのこと。
生前
- 武田信玄
- 最大のライバルで、川中島で5回も激突した。
- 織田信長
- 手取川の戦いで配下の柴田勝家らを散々に打ち破っており、彼女を恐怖させた。
- 北条氏康、北条氏政
- 景虎個人のライバルといえば武田信玄であるが、関東管領・上杉家としての宿敵は数代前にいきなりやって来て南関東をほぼ持って行った(後)北条家の方である。
- 景虎の時代には氏康・氏政親子の二頭体制で領国を統治しており、武田家や今川家その他も巻き込んでしょっちゅう戦ったり同盟したりしていた。
- なお、北条家と同盟を結んだ際に、氏康の七男を養子に迎え入れており、景虎の名を彼に譲っている。
名台詞
ぐだぐだエース
メモ
- 発表されて以降は読者から真名に対する推測も行われており、女性説もある戦国大名「上杉謙信」や、その上杉謙信の部下であり「風花雪月」の言葉で知られている「直江兼続」などが有力視されていた。
- 後に公開された真名は上記の上杉謙信の別名である「長尾景虎」であり、予想した人間の多くが正解となった。
- CVを担当する水樹奈々氏は今回が『Fate』シリーズ初参加で、一部ユーザーから「Fateにフェイト・テスタロッサ(『魔法少女リリカルなのは』シリーズのメインキャラ)が来た」と言われている。
- ちなみに、誕生日が長尾景虎と同じだったりする。
- いつも通りの女体化……というわけでもなく、上記のように上杉謙信にはトンデモレベルではあるが「女性説」も普通に囁かれている。理由としては「生涯妻を持たなかった」「声が高いことが特徴」「月に一度は体調不良になっていた」などが挙げられている。
- トイレネタがやたらと多いのも、死んだ場所が厠であったからと思われる。なお、上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため、アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたものと推測されている。
- 『FGO』でもこのネタが採用されており、信長が語ったウォシュレットに興味を持っている他、酒盛りをした時は五時間以上も飲み続けて他の酒飲みのサーヴァント達を全員潰してしまい、サーヴァント界一の酒豪であることを証明している。
- 本来、長尾家は関東管領・上杉家の家宰(主家の政務を家長に代わり取り仕切る役割。のちの家老)職を代々務めていた家であり、景虎の三条長尾家は越後守護代として越後守護上杉家に仕えていたが、越後守護・上杉定実が後継ぎを遺さず死去したのち景虎が越後国を引き継ぐことを将軍・足利義輝に認められた。2年後、北条氏康との戦いに敗れた関東管領・上杉憲政が越後に逃れ、追撃してきた北条軍を景虎が撃退。同年の武田晴信(のちの信玄)の侵攻も退ける(第一次川中島の戦い)などして発言権を増し、この後も武田氏や北条氏との戦や和睦を繰り返した末に永禄4(1561)年、関東管領・上杉憲政の養子となる形で山内上杉家の当主および関東管領の地位を相続、名を上杉政虎と改めた。さらに同年、将軍義輝より一字を賜り、輝虎と改名する。有名な「上杉謙信」を名乗るのは元亀元(1570)年以降のことであり、謙信は僧としての法号である。
サーヴァントとしての名を「長尾景虎」としたのは武将としての逸話の中核をなす川中島の戦い、天文21(1552)年の第一次から永禄7(1564)年の第五次までのうち、五分の三をその名で戦ったゆえに全盛期として設定されたものと思われる。
- トイレネタがやたらと多いのも、死んだ場所が厠であったからと思われる。なお、上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため、アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたものと推測されている。
- クラスはランサーだが、川中島の戦で武田信玄に軍配の上から斬り付けた逸話をはじめ、剣の武勇が多く伝えられている。信玄の死後、甲斐の僧・教雅が信玄の言葉として「おおかた太刀においては日本無双の名大将にて御入り候」と謙信を評していたと書状に残している。
話題まとめ
- 謙信の死後の上杉家
- 上述のように謙信は厠で急死するのだが、具体的な後継者を定めていなかった為に、その死後、家督を巡って養子の上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の七男)が「御館の乱」と呼ばれる激しい家督争いを繰り広げた。
- 当初は北条と武田の援助と上杉憲政の支持があった景虎が優勢であったが、景勝が春日山城を奪取した事で形勢が逆転。その後は武田勝頼の援軍を得た景虎が盛り返した事で一旦和睦するも、勝頼は景勝方に付いて撤退してしまい、景虎は孤立無援の状態になってしまう。
- 激しい戦いの最中、妻子と憲政を失った景虎は実家の北条家に戻ろうとするも、逃避行の途中で謀反に逢って無念の自害を遂げた。
- 上杉家の家督を掌握した景勝だが内乱の傷痕は非常に深刻で、謙信が鍛えた精鋭のほとんどが失われてしまった。
- 内乱の最中、これまで謙信に抑えられていた柴田勝家が北陸一帯を平らげて越後に侵攻を開始し、更に伊達氏なども越後を脅かすようになった。天正10年に唯一の同盟者であった武田氏が滅亡した後は周囲を敵対勢力に包囲され、崩壊寸前まで追い込まれてしまう。
- しかし、本能寺の変で織田信長が討たれた事で危機を脱し、信長の後継者争いに勝利した羽柴秀吉から臣従を求められると上洛して秀吉の傘下に入る。秀吉にいち早く服従した景勝への信認は厚く、会津120万石への加増移封と豊臣五大老への就任という栄華を得る。一方で徳川家康への抑えと監視役という役割も与えられた事で家康と対立し、関ヶ原の戦いが発生する大きな要因となってしまう。
- 関ヶ原の戦いで敗北した後、景勝は米沢藩30万石に減増移封され、以後の上杉家は幕末まで(財政難と藩政の腐敗に悩まされながら)米沢藩の藩主として継続する事となる。
脚注
注釈
出典