瓶倉光溜
瓶倉光溜
- 読み:かめくら みつる
- CV:石田彰
両儀家専属の興信所所長。つまり探偵。そして駆け出しの絵本作家。
- 略歴
- かつて、「倉密メルカ」を名乗った爆弾魔。この名はたまたまコミックで見かけたキャラの名前からとった偽名であると同時に、本名のアナグラムでもある。
未来視を使って両儀式に挑むも敗北。右目の視力と未来視を失う。とどめを刺される前に式は興味を失い、生きながらえる。
未来視を失った後は平凡に生き、得がたい友人を得たもののそれを喪い、彼の後を継いで廃ビル同然の住家で暮らしつつ、絵本を書いていた。
しかし、売れない絵本作家は借金で首が回らなくなる。そこへ彼のファンを名乗る両儀未那が現れ助け舟を出すも、結局両儀家のボスに興信所の所長という役どころを押し付けられ、日々振り回されている。
- 人物
- かつては未来視の能力ゆえに、本人いわく「未来という定められた命令を実行するだけのロボット」といった生き方をしていたが、未来視を失ってからは人並みの人間性を手に入れた。
今の彼は、両儀未那や本人いわく「半端なチンピラ」らしい。「(未来視を失った)代わりに得たものは失敗だらけの人生だったが、それでも残るものはあった」とのこと。
絵本は売れてはいないものの、亡くなった友人のツテやらなにやらで編集部の覚えはよいらしく、作家活動は細々と続いている。処女作は『吸血鬼の涙』。いかなる理由からか、作者である自分のことを「彼」と呼んで突き放した視点で見ていることがままある。
- 能力
- 「測定」系の未来視能力者。「予測」系の未来視である瀬尾静音・晶のものとは違う能力。
彼の能力は有り体に言うと、「望む未来を引き寄せる能力」である。瀬尾静音・晶のものが受動的に未来を押し付けられるものであるのに対して、能動的に「未来を作る」能力。自分の思い描いた望む未来を右目に映せば、どうすればそこに至れるかという過程を左目が段階的に映していく。本人が数式に例えて曰く、先に解答を書いたら勝手に計算式が浮かび上がってくるようなもの、らしい。
「押し付けられた、不幸な未来」ではなく、「自分が望んだ理想の、良き未来」であるがゆえに、これを改変する理由は存在しない。
だがそれを繰り返すうち、未来が決まった事をただこなすだけの作業にしか思えなくなり、彼は「定められた命令を実行するだけのロボット」に成り果てた。
ただし、この能力には「未来は自分の視界に映るものでなければならない」という制限がある。黙っていれば何もせずやってくる未来なのではなく、当事者としてそれを「構築」しなければならない。
そして、視界に映らない、自分の未来とは全く関係ない他人の未来を操ることはできない(とはいえ、もとより「関係がない」のだから、操る必要もない)。
未来を確定させる「測定」の未来視は、「予測」の未来視が「特権」と言い表されるのに対し、「越権」に相当する超能力。ただ、不確定を予測するだけの未来視ではなく、「確定された未来」は既にカタチあるものに成り下がってしまうため、直死の魔眼の前に敗れることとなった。
未来を見ていた右目を殺され、今では失われた能力だが、瓶倉は時々眼鏡をかけ、その真似事をしているという。
登場作品と役柄
- 未来福音
- かつての爆弾魔。そして『未来福音・序』における語り手。
人間関係
- 両儀未那
- ファンであり命の恩人。そして避けられない厄介事。
- 両儀式
- かつての敵。今では恐ろしすぎるボス。ちなみに式の方も散々ストーキングされたのを覚えているらしく、専属の探偵に指名する際「得意だろそういうの」と笑顔で宣っている。
- 黒桐幹也
- 苦手な先輩。
- 観布子の母
- かつてのご同業。未那の頼みで、面倒を見ることに。
- 水原真鮎
- 初めての友人。車椅子の青年で、「未来福音・序」の時点で既に故人。幹也の紹介で出会った時には白血病で余命半年だった。車椅子なのは病気によるものではなく、子供の頃に「倉密メルカ」の爆弾事件に巻き込まれて負傷したため。
名台詞
メモ
- 処女作『吸血鬼の涙』に対する未那の評価は高いが、二作目の『残光ケージ』は「資源の無駄レベル」と言われる体たらく。「処女作で燃え尽きるタイプなのかしら」と言われている。
- 処女作は名義こそ瓶倉光溜だが、実際の作者は亡くなった友人である水原真鮎。『吸血鬼の涙』は彼が光溜を題材として書いた絵本。
- 奈須氏の書いた小説「DDD」にて倉密メルカという名前のキャラが存在する。関連性は特に無い。「出口なき脳髄陥穿(クラインキューブフラインネス)」の二つ名をもつ敗戦主義者で、44マグナムをぶち込まれて死亡した。
- 味の強いキャラデザの多い空の境界の中でも特に現代的なデザインだが、小説初公開の時点ではまだどういう像か決められておらず、劇場版制作に伴って初めて設定画が描かれた。武内曰く「描くべき時が来たら描く」とあらかじめ決めていたそうだ。