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追記
== 話題まとめ ==
== 話題まとめ ==
; 正体について
: 作中において盗賊、鬼、天女……と正体に諸説あるとされているのは時代や地域によってその正体が違うためと思われる。
: 鎌倉時代に成立した『保元物語』では「盗賊・立烏帽子」として伊賀の武士に捕縛されたとある。また『弘長元年公卿勅使記』では立烏帽子の崇敬した神社の神が鈴鹿姫であるともされるが、どちらの資料でも立烏帽子が男女どちらかまで描写されていない。
: 室町時代前半の『太平記』『耕雲紀行』などでは「盗賊・立烏帽子」と「鈴鹿姫」が同一視され坂上田村麻呂の英雄譚に登場して討伐されるが、その時に着ていた立烏帽子を投げたものが鈴鹿山の鏡岩になったとある。室町時代後期になると『鈴鹿の草子』『田村の草子』が登場し16,7歳の「天女・鈴鹿御前」として登場する。これら御伽草子では烏帽子は被らずに玉の簪や十二単など、盗賊としてイメージが薄れている。また大嶽丸を討伐する英雄譚ではあるが、娘をもつ母や田村麻呂への愛などにも焦点が置かれている。
: 一方、江戸時代の東北では熊野詣が盛んであり、旅の宿のある鈴鹿から東北ゆかりの田村麻呂の登場する『鈴鹿の草子』が入り、東北各地の伝承も混じったため『田村三代記』として成立した。『田村三代記』では天竺から日本を転覆させるため伊勢鈴鹿山に来た「第四天魔王の娘・立烏帽子」として登場する。立烏帽子と同格の鬼神である蝦夷の大嶽丸と連合されると大変であると、朝廷は田村利仁を向かわせるものの田村利仁は16,7歳の立烏帽子を討てず、逆に立烏帽子から田村利仁の祖父は星の子供で祖父が龍の交わり生まれたのが利仁の父であり、その父が奥州の鬼である悪玉姫と交わり生まれたのが利仁であると出自を告げられる。立烏帽子は田村三代こそ日本の悪魔を鎮める観音の再来であり、自身も大嶽丸に何度も手紙を無視されたから倒したいが女であるため男がいないと無理である、ならば日本の悪魔を共に倒そうと言い二人は契りを交わす。近江の高丸に常陸鹿島まで逃げられた際は神通力で飛ぶ光輪車で移動し、十二の星を降らせ星の舞をさせ利仁の放った矢を千の矢に変え降らせたなど、その後も大嶽丸討伐まで魔王の娘として大活躍する。
: このように鈴鹿峠の盗賊や鈴鹿山の女神や天女、魔王の娘と様々なのは時代や地域、さらには御伽草子や奥浄瑠璃などの形態の違いにより鈴鹿御前に求められる役割まで違ったためである。
; 三振りの宝剣
; 三振りの宝剣
: 鈴鹿御前の三振りの宝剣である'''大通連'''、'''小通連'''、'''顕明連'''は御伽草子や奥浄瑠璃などに登場する架空の刀であるため実在はしないが、伝承や写本の違いなどにより表記や由来は様々である。
: 鈴鹿御前の三振りの宝剣である「大通連」、「小通連」、「顕明連」は御伽草子や奥浄瑠璃などに登場する架空の刀であるため実在はしないが、伝承や写本の違いなどにより表記や由来は様々である。
: 『鈴鹿の草子』『田村の草子』では三振りの宝剣は天竺真方国の阿修羅王が大嶽丸に贈ったものだが、坂上田村麻呂に味方した鈴鹿御前の謀略により'''大通連'''と'''小通連'''は奪取に成功し坂上田村麻呂を勝利に導いた。しかしもう一振りの'''顕明連'''は大嶽丸が天竺の叔父に預けており、その神通力を持って大嶽丸の復活を許してしまう事になる。
: 『鈴鹿の草子』『田村の草子』では三振りの宝剣は天竺真方国の阿修羅王が大嶽丸に贈ったものだが、坂上田村麻呂に味方した鈴鹿御前の謀略により大通連と小通連は奪取に成功し坂上田村麻呂を勝利に導いた。しかしもう一振りの顕明連は大嶽丸が天竺の叔父に預けており、その神通力を持って大嶽丸の復活を許してしまう事になる。
: 『田村三代記』では始めから鈴鹿御前が所持していた描写が多く'''大通連'''は文殊菩薩の化身(または文殊菩薩の打った智慧の剣)とされ、'''小通連'''は普賢菩薩の化身(または普賢菩薩の打った慈悲の剣)とされる。'''顕明連'''は近江の湖に棲む蛇の尾より取れた剣とされ、旭日に当てれば三千大千世界を見渡すことができるという。釈迦如来とその二脇侍である文殊菩薩と普賢菩薩が宝剣のモチーフであり、「顕明」や「三千大千世界」など三振りの宝剣に仏教の影響が見受けられる。
: 『田村三代記』では始めから鈴鹿御前が所持していた描写が多く大通連は文殊菩薩の化身(または文殊菩薩の打った智慧の剣)とされ、小通連は普賢菩薩の化身(または普賢菩薩の打った慈悲の剣)とされる。顕明連は近江の湖に棲む蛇の尾より取れた剣とされ、旭日に当てれば三千大千世界を見渡すことができるという。釈迦如来とその二脇侍である文殊菩薩と普賢菩薩が宝剣のモチーフであり、「顕明」や「三千大千世界」など三振りの宝剣に仏教の影響が見受けられる。
: これらの違いは盗賊、第四天魔王の娘、天女と変化していく過程で物語中の鈴鹿御前の役割の変化に併せるように、三振りの宝剣の役割も変っていったものと思われる。もっとも彼女を祀る鈴鹿峠の片山神社には「鈴鹿流薙刀術発祥之地」の碑が建ち、祇園祭の鈴鹿山の御神体も大長刀を手にしていることから、信仰の上では刀剣より薙刀を振るう印象が強く浸透している。
: これらの違いは盗賊、第四天魔王の娘、天女と変化していく過程で物語中の鈴鹿御前の役割の変化に併せるように、三振りの宝剣の役割も変っていったものと思われる。もっとも彼女を祀る鈴鹿峠の片山神社には「鈴鹿流薙刀術発祥之地」の碑が建ち、祇園祭の鈴鹿山の御神体も大長刀を手にしていることから、信仰の上では刀剣より薙刀を振るう印象が強く浸透している。
; 坂上田村麻呂との剣合
; 坂上田村麻呂との剣合
: 原作の回想同様に鈴鹿御前が坂上田村麻呂と剣合したシーンは、室町時代前期の『太平記』や『酒呑童子絵巻』にも記載されている。『酒呑童子絵巻』では、彼女との剣合の際に坂上田村麻呂が用いた刀が'''血吸'''であり、剣合の後に伊勢神宮に奉納した'''血吸'''が源頼光に渡って酒呑童子を斬ったという、言わば源頼光の振るう刀の'''童子切安綱'''自体の由緒を高めるための脇役エピソードでしかなかった。彼女が坂上田村麻呂と互いに助け合いながら数々の鬼神を退治し英雄としての功績を紡いでいくのは、室町時代後期に『鈴鹿の草子』『田村の草子』など鈴鹿御前と坂上田村麻呂が中心の御伽草子が成立してからになる。
: 原作の回想同様に鈴鹿御前が坂上田村麻呂と剣合したシーンは、室町時代前期の『太平記』や『酒呑童子絵巻』にも記載されている。『酒呑童子絵巻』では、彼女との剣合の際に坂上田村麻呂が用いた刀が「血吸」であり、剣合の後に伊勢神宮に奉納した血吸が源頼光に渡って酒呑童子を斬ったという、言わば源頼光の振るう刀「童子切安綱」自体の由緒を高めるための脇役エピソードでしかなかった。彼女が坂上田村麻呂と互いに助け合いながら数々の鬼神を退治し英雄としての功績を紡いでいくのは、室町時代後期に『鈴鹿の草子』『田村の草子』など鈴鹿御前と坂上田村麻呂が中心の御伽草子が成立してからになる。
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