差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
357行目:
357行目:
− +
+
379行目:
380行目:
− +
387行目:
388行目:
− +
− +
→話題まとめ
:幕府はまず九州諸藩の討伐軍のみで原城を攻めようとする。だが総大将に任じられた板倉重昌には九州大名たちを率いる程の力量はなく、ひたすら総攻撃を続けるも攻城は全て失敗。事態を重く見た幕府は「知恵伊豆」の異名を持つ老中・松平信綱を派遣するも、それから間もなく重昌が戦死して指揮官がいないまま戦線が瓦解し掛けるという最悪の結果を迎える。<ref>信綱の援軍派遣決定を受けて責任を取らされる事を恐れた重昌が功を焦り、総攻撃にあたって自ら最前線に出たところを討ち取られたという。家光の側近であった[[柳生但馬守宗矩]]はこの顛末を予期し、重昌の派遣を撤回するよう諌言したという。</ref>
:幕府はまず九州諸藩の討伐軍のみで原城を攻めようとする。だが総大将に任じられた板倉重昌には九州大名たちを率いる程の力量はなく、ひたすら総攻撃を続けるも攻城は全て失敗。事態を重く見た幕府は「知恵伊豆」の異名を持つ老中・松平信綱を派遣するも、それから間もなく重昌が戦死して指揮官がいないまま戦線が瓦解し掛けるという最悪の結果を迎える。<ref>信綱の援軍派遣決定を受けて責任を取らされる事を恐れた重昌が功を焦り、総攻撃にあたって自ら最前線に出たところを討ち取られたという。家光の側近であった[[柳生但馬守宗矩]]はこの顛末を予期し、重昌の派遣を撤回するよう諌言したという。</ref>
:辛うじて援軍到着まで持ちこたえた討伐軍は総勢12万を数えるも、信綱は緩急を付けた戦い方を心掛けて無理な攻撃を控えるようになり、情報収集や矢文で投降を呼びかけるなどの心理戦を展開。更に一揆軍の食料が残り少ないと見て取ると兵糧攻めを仕掛けて一揆軍の弱体化を計った。<br>篭城戦が始まった3ヵ月後の1638年2月27日(旧暦)、遂に総攻撃を再開、兵糧攻めで武器・食料を失っていた一揆軍は総崩れとなり、乱は鎮圧された。
:辛うじて援軍到着まで持ちこたえた討伐軍は総勢12万を数えるも、信綱は緩急を付けた戦い方を心掛けて無理な攻撃を控えるようになり、情報収集や矢文で投降を呼びかけるなどの心理戦を展開。更に一揆軍の食料が残り少ないと見て取ると兵糧攻めを仕掛けて一揆軍の弱体化を計った。<br>篭城戦が始まった3ヵ月後の1638年2月27日(旧暦)、遂に総攻撃を再開、兵糧攻めで武器・食料を失っていた一揆軍は総崩れとなり、乱は鎮圧された。
:*なお、立て篭もった3万7千人全員が討ち取られたとされているが、最近の史料では1万人ほどが投降・脱出するなどして命を失わなかったと言われている。そして乱の鎮圧後、松倉勝家は暴政によって騒乱を招いた責任を問われて改易された上、江戸に罪人として送られて1638年8月(旧暦)斬首刑となった。''大名が切腹ではなく斬首となったのは後にも先にもこの時だけ''であり、さすがの幕府も勝家の目に余る暴政ぶりは看過できなかった事が伺える。また、この直後から唯一貿易国としての付き合いがあったキリスト教国家のオランダとの貿易にもますます厳しい制約が付くようになり、宣教師対策として取った鎖国体制はますます強固になっていった。
:*なお、立て篭もった3万7千人全員が討ち取られたとされているが、最近の史料では1万人ほどが投降・脱出するなどして命を失わなかったと言われている。そして乱の鎮圧後、松倉勝家は暴政によって騒乱を招いた責任を問われて改易された上、江戸に罪人として送られて1638年8月(旧暦)斬首刑となった。''大名が切腹ではなく斬首となったのは後にも先にもこの時だけ''であり、さすがの幕府も勝家の目に余る暴政ぶりは看過できなかった事が伺える。
:*これと同時期に、唯一貿易国としての付き合いがあったキリスト教国家のオランダとの貿易にもますます厳しい制約が付くようになり、宣教師対策として取った鎖国体制はさらに強固になっていった。
;母「マルタ」
;母「マルタ」
: なお、陣中旗は『Grand Order』にて、絆礼装「天草四郎陣中旗」のモチーフとして採用されている。
: なお、陣中旗は『Grand Order』にて、絆礼装「天草四郎陣中旗」のモチーフとして採用されている。
: 旗は原城落城時に一番乗りした武将・鍋島大膳が自身の武功を示す品として持ち帰り、子孫に代々継承されていた。現在は天草市立天草キリシタン館に収蔵されている。
: 旗は原城落城時に一番乗りした武将・鍋島大膳が自身の武功を示す品として持ち帰り、子孫に代々継承されていた。現在は天草市立天草キリシタン館に収蔵されている。
: 描いたのは島原藩のお抱え南蛮絵師であり一揆勢では天草四郎に次ぐ副将となった山田右衛門作とされる。彼は敵方との交渉の文を書く役目を利用して内通、それがバレて牢に入れられ、落城時に内通の矢文という証拠があったおかげで処刑を免れただ一人生き延びることができた。
: 描いたのは島原藩のお抱え南蛮絵師であり一揆勢では天草四郎に次ぐ副将となった山田右衛門作とされる。彼は敵方との交渉の文を書く役目を利用して内通しており、それが一揆勢にバレて牢に入れられていたが、落城時に内通の矢文という証拠があったおかげで処刑を免れただ一人生き延びることができた。
; 天草諸島
; 天草諸島
;天草ピックアップ
;天草ピックアップ
:期間限定サーヴァントの中ではピックアップの回数が比較的多い天草だが、同時期かその後に爆弾を投下させるとユーザーから囁かれている。
:期間限定サーヴァントの中ではピックアップの回数が比較的多い天草だが、同時期かその後に爆弾を投下させるとユーザーから囁かれている。
:一度目は『Grand Order』ではFGO初の「復讐者」のサーヴァントであり、プレイヤーからは[[主人公 (Grand Order)]]の裏の相棒と呼ばれている[[巌窟王 エドモン・ダンテス]]、
:一度目は『Grand Order』ではFGO初の「復讐者」のサーヴァントであり、プレイヤーからは[[主人公 (Grand Order)]]の裏の相棒と呼ばれるに至った[[巌窟王 エドモン・ダンテス]]、
:二度目はかの[[ギルガメッシュ]]と因縁のある女神であり、『stay night』のヒロインの一人[[遠坂凛]]を寄り代にして疑似サーヴァントとなった[[イシュタル]]、
:二度目はかの[[ギルガメッシュ]]と因縁のある女神であり、『stay night』のヒロインの一人[[遠坂凛]]を寄り代にして疑似サーヴァントとなった[[イシュタル]]、
:三度目は『stay night』の原点である『Prototype』とそのスピンオフ作品『蒼銀のフラグメンツ』に登場した「剣士」のサーヴァント、[[アーサー・ペンドラゴン]]
:三度目は『stay night』の原点である『Prototype』とそのスピンオフ作品『蒼銀のフラグメンツ』に登場した「セイバー・プロトタイプ」こと[[アーサー・ペンドラゴン]]
:四度目はEpic of Remnantの四番目の物語である 「亜種特異点IV 禁忌降臨庭園 セイレム」の開幕および[[“山の翁”]]の復刻ピックアップ…
:四度目はEpic of Remnantの四番目の物語である 「亜種特異点IV 禁忌降臨庭園 セイレム」の開幕および[[“山の翁”]]の復刻ピックアップ…
:と、登場した作品やシナリオ内で大きな存在感を放つキャラや新情報ばかりがぶつけられて来ていたため、ユーザーからはある意味でこのピックアップに畏怖の目を向けられている。
:と、登場した作品やシナリオ内で大きな存在感を放つキャラや新情報ばかりがぶつけられて来ていたため、ユーザーからはある意味でこのピックアップに畏怖の目を向けられている。