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: 愛されるために生まれた偶像であることを喜び、望まれるままに振る舞おうと決めている。その精神性は最早、ある種の女神にこそ近い。
: 愛されるために生まれた偶像であることを喜び、望まれるままに振る舞おうと決めている。その精神性は最早、ある種の女神にこそ近い。
: 上述の通りに天真爛漫で好かれやすい性格だが若干天然気味で、誤解を招きやすいことを言ったり行ったりすることもしばしば。
: 上述の通りに天真爛漫で好かれやすい性格だが若干天然気味で、誤解を招きやすいことを言ったり行ったりすることもしばしば。
: サーヴァントとしての記憶は晩年のものに準拠しているが、精神や性格は基本的に「ルイ十六世と結婚し、王妃としてフランスを訪れ、数多の国民から祝福され愛された瞬間」で止まっており、悲劇の王妃としての側面は絆を深めたマスターにしか見せない。また「民の幸せ」を願っているため国と民を守ろうとしており、そして生前における「悲劇の消去」を決して聖杯にかけることもない。
: サーヴァントとしての記憶は、晩年のものに準拠している。ただし基本的に、精神や性格は「ルイ十六世と結婚し、王妃としてフランスを訪れ、数多の国民から祝福され愛された瞬間」で止まっていて、ブルジョア(=市民・資本家)への敵意は表れていない。悲劇の王妃としての側面は、絆を深めたマスターにしか見せない。<br>また「民の幸せ」を願っているため国と民を守ろうとしており、そして生前における「悲劇の消去」を決して聖杯にかけることもない。
; 能力
; 能力
: スキル『魅惑の美声』の効果により、王権への敵対者に対して歌声で魔力ダメージを導く。
: スキル『魅惑の美声』の効果により、王権への敵対者に対して歌声で魔力ダメージを導く。
== 真名:マリー・アントワネット ==
== 真名:マリー・アントワネット ==
:マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アブスブール=ロレーヌ・ドートリシュ。ハプスブルク家の系譜にあたるフランス王妃。王権の象徴として愛され祝福されて生きながら、王権の象徴として憎まれ貶められて死に果てた女性。
:マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アブスブール=ロレーヌ・ドートリシュ。ハプスブルク家の系譜にあたるフランス王妃。王権の象徴として愛され祝福されて生まれながら、資本主義・民主主義と対決して死に果てた女性。
:儚き貴婦人。ドイツ系大貴族ハプスブルグ家の裔たるマリア・テレジアとロレーヌ公爵家出身の神聖ローマ皇帝フランツ一世の間に生まれた、欧州世界の「高貴による支配」を象徴する存在。ヴェルサイユにて嫌味と陰謀が渦巻く戦場での孤独の戦いを強いられた。<br>
:儚き貴婦人。決して敗北を認めず、いざという時には「美しく敗れる」ことを理念とした王妃。ドイツ系大貴族ハプスブルグ家の裔たるマリア・テレジアとロレーヌ公爵家出身の神聖ローマ皇帝フランツ一世の間に生まれた、欧州世界の「君主主義」を象徴する存在。豪華絢爛なヴェルサイユにて、財政破綻や貴族社会の陰謀が進行していることに気がつけず、しかし王妃としてあり続けようとした。<br>
:マリーは14歳でルイ16世の妃(ただし、結婚当時はまだ即位していないため、正確には王太子妃である)となり、民に乞われて王妃になった。民なくして王妃は王妃になれない。<br>母の元から離れて王家の白百合となることを決め、民を愛し、民を思い、民を救おうとした。<br>それでも民が望まないなら、望まなくとも退場する。それが国に仕える人間の運命である。
:ウィーンの宮廷で明るく軽快な少女として育ったマリーは、13歳になってもフランス語の読み書きができず、家庭教師のヴェルモンによれば、勉強に5分以上集中することも出来なかった。フランスでは町全体を挙げるほどの大歓迎を受け、14歳でルイ16世の妃(結婚当時はまだ即位していないため、正確には王太子妃)となった。とはいえ結婚契約の署名で、自分の名前の二文字を間違えていたが。<br>母マリアの元から離れて王家の白百合となることを決め、民を愛し、民を思い、民を救おうとしたマリー。しかし当の母は、娘に「多くの軽薄さ」「熱意の不足」「頑なさ」があると述べていた。女帝という伝統の継承者としてマリアは、未来に光と暗雲が入り混じっていることを感づいていたのである。
:王権の絶対性が失われていく世界の変化「フランス革命」により、彼女は愛する人や愛する子供達と共に捕まり、引き離されてしまう。
:時代はまさに産業革命の最中で、産業合理主義が宗教や身分制を弱めていた。イギリスやアメリカでは既に、資本主義革命(ブルジョア革命)によって自由(リベラル)な資本主義・民主主義がもたらされ、世界に拡大し始めていた。<br>つまり当時は、伝統的な君主権の絶対性が失われていく時代だった。宗教家や王侯貴族は、産業化・科学化が進む経済と財政問題に対応できず、ついにはフランスでも資本主義革命「フランス革命」が発生。マリーは宮廷で反革命勢力を結成したが、資本主義社会や経済的人権を定めた憲法が成立し、彼女も一旦は近代化を認めたかのように見せた。
:高貴な出自、政略結婚、宮廷生活、そして革命に処刑と、彼女の生き様と死に様は「偶像」としての王権の具現であったと言える。
:しかし本当は彼女は、近代法を「唾棄すべき作品」「実行不可能な馬鹿馬鹿しいことの連鎖」等と呼んでいた。このようなマリーの振る舞いは、商工業者・資本家や革命家の神経を逆撫でした上に、マリーへの攻撃的態度をより一層激化させていった。<br>マリーは愛する人や愛する子供達と共に捕まり、引き離されてしまう。タンプルの塔に幽閉された後にギロチンに掛けられ、ブルジョア(=市民・資本家)からの皮肉や蔑みと共にその首を刎ねられてその生涯を終えた。その際、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んだことを謝ったという。
:確かにマリーの生前には悲劇があり、悲しみはしたが、決して民を恨みはしなかった。<br>愛する家族が死に、王家の白百合が忘れ去られたとしても、それが愛する民の笑顔に繋り、国は永遠にあり続けるとマリーは信じている。
:高貴な出自、政略結婚、宮廷生活、賭博に借金、社交界に伝統主義、そして革命に処刑と、彼女の生き様・死に様は「偶像」としての神聖君主権を具現していたと言える。
:マリーに味方しようとした人間は、恋人フェルセンの他に、ミラボーやラ・ファイエット達が居た。だがマリーは、味方が資本主義や民主主義に少しでも共感した事例があれば、味方を「過激派」と呼んで遠ざけようとした。<br>マリーの言う「過激派」とは、資本主義等に加担する民のことであり、結局最後までマリーの側に残ったのは、フェルセンや他の数人程度だった。
:確かにマリーの生前には悲劇があり、悲しみはしたが、決して民を恨みはしなかった。マリーにとって民とは、君主に仕える臣民であり、決して資本家や商工業者ではないからである。<br>愛する家族が死に、王家の白百合が忘れ去られたとしても、「人々は遅かれ早かれ、自分たち自身の幸福のために、唯一の指導者とともにあることがどんなに大切かを知ることでしょう」とマリーは信じている。
:'''空に輝きを。地には恵みを。'''<br>'''――民に、幸せを。'''
:'''空に輝きを。地には恵みを。'''<br>'''――民に、幸せを。'''
:マリーの発言や振る舞いは、観点次第ではプラスに働いた。伝統主義・ロマン主義やフィクション、さらにはファンタジー等、いわゆる資本主義や産業合理主義とは縁の薄い分野でマリーは様々に親しまれ、肯定されている。<br>これはマリーの母、女帝マリア・テレジアのマリー評価――「完璧に偉大な存在になるか、非常に不幸になるか」――にも通じるところがある。
===関連===
===関連===
;民を想う王妃
;君主主義者かつ反革命家として
:革命期には多くの人から憎悪の対象となったが、現代のフランスでは名誉回復が行われている。
:革命期にはマリー自ら反革命を扇動したこともあって、およそ貴族からは崇拝され、ブルジョアからは敵対された。長いあいだマリーの評価は、一方で聖女のように肯定され、他方では色情狂のように否定された。<br>現代の歴史学ではマリーの評価は、封建主義者(≒反資本主義者)かつ君主主義者(≒反民主主義者)というのが主流であり、言わば「資本主義革命の対立者」として見なされている。現在でも毎年、フランスの資本主義革命「フランス革命」を祝う「パリ祭」が開催されている。
:飢饉にあっては宮廷費を削り寄付金と成し、自ら貴族達に人々への援助を求める等、民を想う女性であったことが確認されている。
:『Grand Order』における人物像はこれに準拠したものとなっている。
:歴史学で確認されているところでは、マリーは飢饉の際は宮廷費を削り寄付金と成し、自ら貴族達に人々への援助を求める等、民を想う女性であった。その反面彼女は、賭博に熱中し過ぎて借金を重ねたり、若い貴族たちと夜遊びしていた。また、身分制の廃止や経済的合理主義、「法の下の平等」といった近代社会制度を断じて認めなかった。
:『Grand Order』における人物像は、貴族・伝統主義者・芸術家等が見た理想的マリー像に準拠したものとなっている。
;首飾り事件
;首飾り事件
:『Grand Order』の絆礼装にまつわる、生前のフランス王宮を騒がした一大スキャンダル。
:『Grand Order』の絆礼装にまつわる、生前のフランス王宮を騒がした一大スキャンダル。
:王妃と不仲であったロアン枢機卿に対し、王妃と親しいと吹聴するラ・モット伯爵夫人が接近し、「高額な首飾りを購入して王妃にプレゼントすれば仲直りできる。私が仲介するから」と持ちかけた。
:王妃と不仲であったロアン枢機卿に対し、王妃と親しいと吹聴するラ・モット伯爵夫人が接近し、「高額な首飾りを購入して王妃にプレゼントすれば仲直りできる。私が仲介するから」と持ちかけた。
:信じた枢機卿の購入後に、首飾りを受け取った伯爵夫人は即座に解体してロンドンで転売し横領。首飾りの製作元から代金の催促があって事件が明るみになった。
:信じた枢機卿の購入後に、首飾りを受け取った伯爵夫人は即座に解体してロンドンで転売し横領。首飾りの製作元から代金の催促があって事件が明るみになった。
:勝手に名前を騙られて激怒した王妃は裁判所に提訴し、枢機卿は無罪になったものの伯爵夫人は有罪となって投獄された。(もともと、首飾りが当時の金1t相当ととんでもなく高額だったことと政敵のために作られたものだったため、王妃は嫌がっていた)
:勝手に名前を騙られて激怒した王妃は裁判所に提訴し、枢機卿は無罪になったものの伯爵夫人は有罪となって投獄された。(もともと、首飾りが当時の金1t相当ととんでもなく高額だったことと政敵のために作られたものだったため、王妃は嫌がっていた)
:王妃自身は事件とは無関係だったものの、「実は伯爵夫人とグルで代金を着服したのではないか」などとあらぬ噂が立ち、王宮への不信感に繋がってしまった。
:枢機卿に無罪判決が出たこと、それまで豪奢な生活を送っていたこと等によって、人々はマリーを疑った。彼女は怒り涙を流し、フランス全体について「公正な判事たちを見つけることができなかった」と罵倒し、突如として反フランス的傾向を深めた。また、事件が発生するよりも以前、経済的な自由化や公正を求める民衆(ブルジョア)に対し、マリーが蔑視する発言を続けていたこともあって、「実は伯爵夫人とグルで代金を着服したのではないか」などとあらぬ噂が立ち、王宮・君主制への不信感に拍車をかけてしまった。
:『Grand Order』でのマリーはこの事件について「ちょっと嫌な事があった」と深くは語らないものの、首飾りそのものは「キラキラしていてとても綺麗」と評価している。
:『Grand Order』でのマリーはこの事件について「ちょっと嫌な事があった」と深くは語らないものの、首飾りそのものは「キラキラしていてとても綺麗」と評価している。
* 宝具「百合の王冠に栄光あれ」の際に使用するのはガラスの馬のみだが、イベント『月の女神はお団子の夢を見るか?』によれば「出し入れ自由なガラスの馬車(積載量3トン以上)」も所有している。第一章でもガラスの薔薇を投げつけているので、ガラスを連想させる「愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・パレス)」ともども全て同一の起源からの派生である可能性もある。
* 宝具「百合の王冠に栄光あれ」の際に使用するのはガラスの馬のみだが、イベント『月の女神はお団子の夢を見るか?』によれば「出し入れ自由なガラスの馬車(積載量3トン以上)」も所有している。第一章でもガラスの薔薇を投げつけているので、ガラスを連想させる「愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・パレス)」ともども全て同一の起源からの派生である可能性もある。
**後に登場した「愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・ドレス)」が、「王権の輝きを身に纏う宝具」と説明されたため、この輝きこそが彼女の力の根源なのかもしれない。
**後に登場した「愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・ドレス)」が、「王権の輝きを身に纏う宝具」と説明されたため、この輝きこそが彼女の力の根源なのかもしれない。
* 一説には、史実のマリー・アントワネットはウエスト58~59センチ、バスト109センチという、2次元でも滅多に見ない抜群のスタイルを誇っていたとされる。残念ながら(?)本作ではフランス王太子妃となった14歳頃の少女らしいボディで現界している。お月見イベントでは「栄養は全て胸にいく体質」「いっぱい食べた分だけ胸のサイズが大きくなる」と自称し、[[シュヴァリエ・デオン|デオン]]も「王妃は将来、フランスでもトップランクのお体に成長なされる」と証言し、同席していた[[シャルル=アンリ・サンソン|サンソン]]を動揺させていた。<!--
* 一説には、史実のマリー・アントワネットはウエスト58~59センチ、バスト109センチという、2次元でも滅多に見ない抜群のスタイルを誇っていたと同時に、しゃくれアゴ(「ハプスブルク家の下唇」)を持っていたとされる。残念ながら(?)本作ではフランス王太子妃となった14歳頃が元らしい、美少女のボディで現界している。お月見イベントでは「栄養は全て胸にいく体質」「いっぱい食べた分だけ胸のサイズが大きくなる」と自称し、[[シュヴァリエ・デオン|デオン]]も「王妃は将来、フランスでもトップランクのお体に成長なされる」と証言し、同席していた[[シャルル=アンリ・サンソン|サンソン]]を動揺させていた。<!--
* 武内氏によると、キャラクターデザインを担当しているギンカ氏に「まっとうなお姫様でありつつ、アイドルらしく」というコンセプトで注文している。バラの指輪がマイクになっているのはその名残。
* 武内氏によると、キャラクターデザインを担当しているギンカ氏に「まっとうなお姫様でありつつ、アイドルらしく」というコンセプトで注文している。バラの指輪がマイクになっているのはその名残。
*因みに史実のマリー・アントワネットは鷲鼻に受け口という典型的なハプスブルク顔だったようで、外見に関しては一貫して「素晴らしくは無い」という評価であり、これは風評被害ではなくほぼ確実である。ただし、それを差し引いても首飾り事件以前は国民に愛されていたようで、受け口もチャームポイントとなっていたらしい。
*因みに史実のマリー・アントワネットは鷲鼻に受け口という典型的なハプスブルク顔だったようで、外見に関しては一貫して「素晴らしくは無い」という評価であり、これは風評被害ではなくほぼ確実である。ただし、それを差し引いても首飾り事件以前は国民に愛されていたようで、受け口もチャームポイントとなっていたらしい。
== 話題まとめ ==
== 話題まとめ ==
; 「パンがなければ……」
; 「パンがなければ……」
: マリー・アントワネットの台詞として名高い……ということになっている台詞。この後に「ケーキ(お菓子)を食べればいいじゃない」と続くのだが、名台詞の項で述べた通り、実際は別人の発言であるという説がある。
: マリー・アントワネットの台詞として有名……だった台詞。この後に「ケーキ(お菓子)を食べればいいじゃない」と続くのだが、名台詞の項で述べた通り、実際は別人の発言であるという説がある。
: 大元をたどるとジャン=ジャック・ルソーの著作『告白』に行きつくのだが、この時は「ある王女」が言ったとされる言葉をルソーが思い出したという体で、誰が言ったのか明言はされていない。更に言えばルソーが執筆した当時マリーはまだ9歳で、オーストリアにいた。
:確かにマリーは、宮廷生活について「私が五万リーヴル要求すると、一〇万リーヴル持ってくる」「財政状態がそんなに悪いことに、どうして私が気づくことができたでしょうか?」と表現したり、「自然は清潔でいい香りがするもの」と述べる等、一般人やビジネスマンとはかけ離れた感覚の持ち主ではあった。しかし王侯貴族とブルジョアが、互いに事実無根の中傷を向けあっていたことも歴史的事実と言える。
: この言葉が巡り巡って革命期前後のフランスにおいて貴族を糾弾するための材料として引用され、いつの間にかマリーが言ったことにされた、というのが別人説の概要である。
: なお、「ケーキ」というのは日本語に意訳した時のもので、これはブリオッシュというフランス発祥の菓子パンを指しているとされる。
: 「パンがなければ……」の大元をたどると、ジャン=ジャック・ルソーの著作『告白』に行きつく。この時点では、「ある王女」が言ったとされる言葉をルソーが思い出したという話で、誰の発言かは明らかでない。更に言えば、ルソーが執筆した当時マリーはまだ9歳で、オーストリアにいた。
: ブリオッシュは卵黄とバターを多量に使った黄色い生地が特徴であり、マリーのマイルーム会話の中にもこれが好きだとの発言がある。
: この言葉が巡り巡って、革命期前後のフランスにおいて貴族を糾弾するための材料として引用され、いつの間にかマリーが言ったことにされた、というのが別人説の概要である。
: なお、「ケーキ」というのは日本語に意訳した時のもので、これは「ブリオッシュ」(フランス発祥の菓子パン)を指しているとされる。ブリオッシュは卵黄とバターを多量に使った黄色い生地が特徴であり、マリーのマイルーム会話の中にもこれが好きだとの発言がある。
: 余談だが、当時ブリオッシュの値段は'''パンより安かった'''ので、本来は「(高価な)パンがないのなら、(安価な)ブリオッシュを食べればいい」という意味の言葉だったと思われる。
: 余談だが、当時ブリオッシュの値段は'''パンより安かった'''ので、本来は「(高価な)パンがないのなら、(安価な)ブリオッシュを食べればいい」という意味の言葉だったと思われる。
: ちなみに似たような逸話に中国は西晋王朝の恵帝が言ったとされる「何不食肉糜(米粥が食べられないなら肉粥を食べればいいではないか)」があるが、こちらは確かに言ったという史実ソースがある。アジアからヨーロッパに恵帝のこの逸話が流れ流れてマリーの「パンがなければ……」になったのではという仮説もあるが、前述の通りそもそもの趣旨からして異なっているため信憑性に乏しい。
: ちなみに似たような逸話に中国は西晋王朝の恵帝が言ったとされる「何不食肉糜(米粥が食べられないなら肉粥を食べればいいではないか)」があるが、こちらは確かに言ったという史実ソースがある。アジアからヨーロッパに恵帝のこの逸話が流れ流れてマリーの「パンがなければ……」になったのではという仮説もあるが、前述の通りそもそもの趣旨からして異なっているため信憑性に乏しい。
; 鉄壁の要塞
; 鉄壁の要塞