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;[[斎藤一]]
 
;[[斎藤一]]
 
:新選組の同僚。会津まで共闘したが、さらに北へ向かおうとする自身と袂を分かった。
 
:新選組の同僚。会津まで共闘したが、さらに北へ向かおうとする自身と袂を分かった。
:それでも悪感情は向けておらず、「あいつが新撰組を裏切るはずがない」と全面的に信頼している。
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:それでも悪感情は向けておらず、「あいつが新選組を裏切るはずがない」と全面的に信頼している。
 
;[[芹沢鴨]]
 
;[[芹沢鴨]]
 
:新選組の上司。
 
:新選組の上司。
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;市村
 
;市村
 
:新選組の部下。
 
:新選組の部下。
:幕間の物語でマスターの精神が乗り移った新入りの新撰組隊士。
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:幕間の物語でマスターの精神が乗り移った新入りの新選組隊士。
 
:土方の遺品を託されて函館を脱したことから、彼の小姓を務めた隊士・市村鉄之助と思われる。
 
:土方の遺品を託されて函館を脱したことから、彼の小姓を務めた隊士・市村鉄之助と思われる。
 
;榎本武揚
 
;榎本武揚
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:フランスから幕府に派遣された、軍事顧問団の副団長。宮古湾海戦などで蝦夷共和国に協力した。
 
:フランスから幕府に派遣された、軍事顧問団の副団長。宮古湾海戦などで蝦夷共和国に協力した。
 
;[[伊東甲子太郎]]
 
;[[伊東甲子太郎]]
:新撰組の参謀。攘夷の志は同じであったが、尊皇派の思想を過激な薩摩藩と同列と見なした事で袂を別つ。後に御陵衛士を結成した彼を油小路で暗殺する。なお、史実では隊士の大石鍬次郎らを派遣して暗殺させているが、『激走!川中島24時 ぐだぐだ超五稜郭 殺しのサインはM51』では重病の沖田を投入してまで暗殺した事が語られている。
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:新選組の参謀。攘夷の志は同じであったが、尊皇派の思想を過激な薩摩藩と同列と見なした事で袂を別つ。後に御陵衛士を結成した彼を油小路で暗殺する。なお、史実では隊士の大石鍬次郎らを派遣して暗殺させているが、『激走!川中島24時 ぐだぐだ超五稜郭 殺しのサインはM51』では重病の沖田を投入してまで暗殺した事が語られている。
    
==名台詞==
 
==名台詞==
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**他の愛称としては経験値命名の「ヒッジ」、土方歳三のあだ名として一般的な「トシ」、捩って「とっしー」、そのまま役職名から「副長」、史実と[[エレナ・ブラヴァツキー〔アーチャー〕|中の人ネタ]]で「元副長」などなど多岐にわたるため逆にわかりづらくなることもチラホラ。
 
**他の愛称としては経験値命名の「ヒッジ」、土方歳三のあだ名として一般的な「トシ」、捩って「とっしー」、そのまま役職名から「副長」、史実と[[エレナ・ブラヴァツキー〔アーチャー〕|中の人ネタ]]で「元副長」などなど多岐にわたるため逆にわかりづらくなることもチラホラ。
 
*鬼の副長として有名な土方歳三だが、彼の人柄を証言するものの多くは「落ち着きがあった」「怒らなかった」などといったもので、鬼として恐れられていたなどという証言はない。むしろ温和な性格から隊士達は彼を母のように慕っていたという逸話が残っている。
 
*鬼の副長として有名な土方歳三だが、彼の人柄を証言するものの多くは「落ち着きがあった」「怒らなかった」などといったもので、鬼として恐れられていたなどという証言はない。むしろ温和な性格から隊士達は彼を母のように慕っていたという逸話が残っている。
**新撰組という組織自体が講談や小説などによる後世の創作を元にしたイメージで語られることが多い。土方の「鬼の副長」もその一つだろう。
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**新選組という組織自体が講談や小説などによる後世の創作を元にしたイメージで語られることが多い。土方の「鬼の副長」もその一つだろう。
 
*一方で女好きとしての一面もあり、奉公をしていた十代の頃から新選組として活躍した頃まで女性に関する逸話が絶えずあり、京で遊里の女性などからもらった艶文を長持いっぱいに溜めこんだり<br>'''「なおなお拙義ども報国、有志と目がけ、婦人慕い候事、筆紙に尽くし難し。」'''といった内容の手紙を親類へ書いたりするほどであった<ref group = "注">あえて現代語訳するならば『報国の志士なのでモテてモテて困ってしまう。』と言ったところだろうか。</ref>。
 
*一方で女好きとしての一面もあり、奉公をしていた十代の頃から新選組として活躍した頃まで女性に関する逸話が絶えずあり、京で遊里の女性などからもらった艶文を長持いっぱいに溜めこんだり<br>'''「なおなお拙義ども報国、有志と目がけ、婦人慕い候事、筆紙に尽くし難し。」'''といった内容の手紙を親類へ書いたりするほどであった<ref group = "注">あえて現代語訳するならば『報国の志士なのでモテてモテて困ってしまう。』と言ったところだろうか。</ref>。
 
*沖田と違い霊基再臨しても浅葱色の羽織を着ないが、本人によれば「(羽織は)あるがもう纏う事はない」とのことで、深い事情があることを思わせる。また、絆LvをMAXにすることで手に入る絆礼装「誓いの羽織」の絵柄は「洋風の鏡台に軍刀や小銃だけでなく、浅葱色の羽織が立てかけられている」というこれまた意味深なもの。
 
*沖田と違い霊基再臨しても浅葱色の羽織を着ないが、本人によれば「(羽織は)あるがもう纏う事はない」とのことで、深い事情があることを思わせる。また、絆LvをMAXにすることで手に入る絆礼装「誓いの羽織」の絵柄は「洋風の鏡台に軍刀や小銃だけでなく、浅葱色の羽織が立てかけられている」というこれまた意味深なもの。
 
**「誓いの羽織」は沖田総司が同名・同由来の宝具を設定として所持しているが、同じく宝具として所持する「誠の旗」と違って「新選組の隊長サーヴァント全員が持っている」といった類の明言は無い。土方のように個々の事情で袖を通さないケースがある故かと思われるが、宝具として所持しているが使わないのかそもそも使えないのかは不明。土方に関しては前者の可能性が高い。
 
**「誓いの羽織」は沖田総司が同名・同由来の宝具を設定として所持しているが、同じく宝具として所持する「誠の旗」と違って「新選組の隊長サーヴァント全員が持っている」といった類の明言は無い。土方のように個々の事情で袖を通さないケースがある故かと思われるが、宝具として所持しているが使わないのかそもそも使えないのかは不明。土方に関しては前者の可能性が高い。
*愛刀・和泉守兼定は会津兼定11代目(後述の理由で12代目とされることもある)の作。但し、日野の土方歳三記念館に伝わっている現物と、近藤勇の手紙の記述では寸法が違っており、また池田屋討ち入りなどがあった新撰組の最盛期には11代目兼定がまだ「和泉守」を受領していなかったこともあって、10(11)代目以前の作も含む複数の兼定を所持していたという説が現在では有力である。なお、この兼定は森長可の「人間無骨」などの作者・美濃兼定2代目よりのちの4代目兼定が芦名氏の招きで会津に移り、以後その地を治める大名家が変わってもお抱えの刀工として定住し続けた家系で、この美濃4代目を会津初代として数えるか否かで末代が11代目となるか12代目となるか史料によってはズレが出る。
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*愛刀・和泉守兼定は会津兼定11代目(後述の理由で12代目とされることもある)の作。但し、日野の土方歳三記念館に伝わっている現物と、近藤勇の手紙の記述では寸法が違っており、また池田屋討ち入りなどがあった新選組の最盛期には11代目兼定がまだ「和泉守」を受領していなかったこともあって、10(11)代目以前の作も含む複数の兼定を所持していたという説が現在では有力である。なお、この兼定は森長可の「人間無骨」などの作者・美濃兼定2代目よりのちの4代目兼定が芦名氏の招きで会津に移り、以後その地を治める大名家が変わってもお抱えの刀工として定住し続けた家系で、この美濃4代目を会津初代として数えるか否かで末代が11代目となるか12代目となるか史料によってはズレが出る。
 
**土方歳三資料館に収められている和泉守兼定は柄巻の糸が擦り切れたものを巻き直す余裕もなかったのか漆で固めて補修してあり、戊辰戦争末期における転戦の激しさを雄弁に物語っている。なお、柄巻の摩耗具合からして土方の刀の握り方は右手と左手の間隔がほぼなく両手共に親指と人差指に力の入る、所謂「クソ握り」<ref group = "注">野球のバットを振るように、刀の重さに任せて叩きつけるには適した握り方だったらしい。</ref>だったと言われ、正しい道場剣術ではないが実践的な我流の剣であったことが窺える。
 
**土方歳三資料館に収められている和泉守兼定は柄巻の糸が擦り切れたものを巻き直す余裕もなかったのか漆で固めて補修してあり、戊辰戦争末期における転戦の激しさを雄弁に物語っている。なお、柄巻の摩耗具合からして土方の刀の握り方は右手と左手の間隔がほぼなく両手共に親指と人差指に力の入る、所謂「クソ握り」<ref group = "注">野球のバットを振るように、刀の重さに任せて叩きつけるには適した握り方だったらしい。</ref>だったと言われ、正しい道場剣術ではないが実践的な我流の剣であったことが窺える。
 
*保有スキルの一つ「局中法度」は一つでも背くことあれば切腹という大変厳しいものだった。ただ「局中法度」という名称と内容は、実際にあった四ヵ条の法令と軍中法度を元に子母沢寛が創作したものであると推測される。
 
*保有スキルの一つ「局中法度」は一つでも背くことあれば切腹という大変厳しいものだった。ただ「局中法度」という名称と内容は、実際にあった四ヵ条の法令と軍中法度を元に子母沢寛が創作したものであると推測される。
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