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→メモ
*上記のように茨木童子には逸話として「渡辺綱の母親に化け、奪われた腕を取り戻した」というエピソードがあるが、一部のプレイヤーの間では'''「渡辺綱の母親ではなく、自身の母親に化けた」'''という仮説がまことしやかに語られている。
*上記のように茨木童子には逸話として「渡辺綱の母親に化け、奪われた腕を取り戻した」というエピソードがあるが、一部のプレイヤーの間では'''「渡辺綱の母親ではなく、自身の母親に化けた」'''という仮説がまことしやかに語られている。
**「見た事がないものには化けられない」という設定から知っている可能性が低い綱の母親よりも幼少期から親しみのある自身の母親に化ける方が難易度が低いのに加え、綱から「茨木の母」への非常に強い後悔からすると遥かに精神的動揺を誘える可能性が高いという理由が根拠に挙げられているが、真相は不明である。
**「見た事がないものには化けられない」という設定から知っている可能性が低い綱の母親よりも幼少期から親しみのある自身の母親に化ける方が難易度が低いのに加え、綱から「茨木の母」への非常に強い後悔からすると遥かに精神的動揺を誘える可能性が高いという理由が根拠に挙げられているが、真相は不明である。
**ただし本来の伝承に沿って考えると「綱をだまし結界内に招き入れさせたうえで情に訴え鬼の腕を見せてもらう」という形になるのだが、綱が故人の姿に騙されるかどうかはかなり疑わしい上に、綱と故人である茨城の母親との関係を考えると招き入れることも不自然である。ましてやその人物から鬼の腕を見たいといわれたらもはや怪しいどころではない。逆に茨木の言葉通りであるなら「見た事さえあれば化けられる」ということになるためならかの形で綱の母を知った・知っていたという流れも十分あり得ると思われる。
== 脚注 ==
== 脚注 ==