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772 バイト追加 、 2013年10月10日 (木) 00:38
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**それほどセイバーに似ているわけではないとされる彼女だが、「一度は国を救いながら、最後には人心が離れて非業の死を遂げる」という点は共通している。
 
**それほどセイバーに似ているわけではないとされる彼女だが、「一度は国を救いながら、最後には人心が離れて非業の死を遂げる」という点は共通している。
 
**ある意味自業自得の末路とも言えるのだが、悲劇的な最期と強固な信仰心が強調されるせいか(Fateに限らず)近年のほとんどの創作において、こういった過激な面が描かれる事はない。もしかすると、吸血鬼伝説を広められた結果、「無辜の怪物」のスキルによって変貌した[[ランサー (EXTRA・黒)]]とは逆に、聖女としての伝説を広められたがゆえに元の苛烈さを失い高潔な性格として召喚されているのかもしれない。<br>また史実では旗持ちに過ぎなかった彼女が(企画段階の設定ではあるものの)セイバー適性を持っているのも、自ら兵の先頭に立つ戦乙女というイメージを託されているからかもしれない。
 
**ある意味自業自得の末路とも言えるのだが、悲劇的な最期と強固な信仰心が強調されるせいか(Fateに限らず)近年のほとんどの創作において、こういった過激な面が描かれる事はない。もしかすると、吸血鬼伝説を広められた結果、「無辜の怪物」のスキルによって変貌した[[ランサー (EXTRA・黒)]]とは逆に、聖女としての伝説を広められたがゆえに元の苛烈さを失い高潔な性格として召喚されているのかもしれない。<br>また史実では旗持ちに過ぎなかった彼女が(企画段階の設定ではあるものの)セイバー適性を持っているのも、自ら兵の先頭に立つ戦乙女というイメージを託されているからかもしれない。
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**聖人の認定は数十年以上かかることもザラとはいえ、ジャンヌ・ダルクの列聖は死後五百年近く経ってからであり、際立って長い。<br>元は一地方の英雄に過ぎなかった彼女だが、フランス革命以後、王家に代わる国威発揚の象徴として美化され祀り上げられた。彼女自身は王党派だったが、平民出身というのが共和党にとって都合が良かったためである。強大化したフランスと彼女の知名度をバチカンも無視できなくなり、政治的判断から聖人に加えられた。<br>聖女としてのイメージと史実の彼女に大きな乖離があるのはこのためである。
 
*東出氏は彼女の人物設定で大変苦労したらしい。<br>「信仰心」を強調すると、史実通りの過激な狂信者としての面が出てきてしまい、夢見がちな乙女にし過ぎると、シェイクスピアに馬鹿にされ続けたキャラクターに非常に近いものとなってしまう。<br>また[[キャスター (第四次)|過去の作品の登場人物]]と密接な関係を持ち、「抑止力」とも関係がある彼女の人物設定は慎重に行わなければならない、という配慮もあったと思われる。<br>もっとも、「アインツベルン相談室」ではジルのギョロ目を目潰しをして元に戻していたそうだから、見た目によらず過激だったようである。
 
*東出氏は彼女の人物設定で大変苦労したらしい。<br>「信仰心」を強調すると、史実通りの過激な狂信者としての面が出てきてしまい、夢見がちな乙女にし過ぎると、シェイクスピアに馬鹿にされ続けたキャラクターに非常に近いものとなってしまう。<br>また[[キャスター (第四次)|過去の作品の登場人物]]と密接な関係を持ち、「抑止力」とも関係がある彼女の人物設定は慎重に行わなければならない、という配慮もあったと思われる。<br>もっとも、「アインツベルン相談室」ではジルのギョロ目を目潰しをして元に戻していたそうだから、見た目によらず過激だったようである。
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:この話が『Fate/Apocrypha』の彼女にどれほど影響しているかについては不明である。
 
:この話が『Fate/Apocrypha』の彼女にどれほど影響しているかについては不明である。
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<!-- ↓Fateとは無関係では? -->
 
;3人のジャンヌ
 
;3人のジャンヌ
 
:英仏百年戦争でジャンヌと言えば一般的にはジャンヌ・ダルクの事を指すが、実は彼女以外にもパンティエーヴル女伯ジャンヌと、モンフォール伯妃ジャンヌという2人の「ジャンヌ」が百年戦争初期に関わっている。この2人はブルターニュ地方の継承問題で激しく対立し、両者の対決は「'''2人のジャンヌの戦い'''」とまで言われた。特にモンフォール伯妃は女傑として名高く、拠点としていたエンヌボンが包囲された時は自ら騎士団を率いて包囲網を突破し、ブレストから援軍を引き連れて再び包囲網を破ってエンヌボンに入城するというジャンヌ・ダルクに劣らない武勇伝が残されている。
 
:英仏百年戦争でジャンヌと言えば一般的にはジャンヌ・ダルクの事を指すが、実は彼女以外にもパンティエーヴル女伯ジャンヌと、モンフォール伯妃ジャンヌという2人の「ジャンヌ」が百年戦争初期に関わっている。この2人はブルターニュ地方の継承問題で激しく対立し、両者の対決は「'''2人のジャンヌの戦い'''」とまで言われた。特にモンフォール伯妃は女傑として名高く、拠点としていたエンヌボンが包囲された時は自ら騎士団を率いて包囲網を突破し、ブレストから援軍を引き連れて再び包囲網を破ってエンヌボンに入城するというジャンヌ・ダルクに劣らない武勇伝が残されている。
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