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→メモ
*服装はよく見ると当時の中国の武装にマント姿という普通の物だが、のっぺりした水色のマントであるためトレーナーを着崩しているようにも見え、オタクっぽさに拍車をかけている。
*服装はよく見ると当時の中国の武装にマント姿という普通の物だが、のっぺりした水色のマントであるためトレーナーを着崩しているようにも見え、オタクっぽさに拍車をかけている。
*肩には雀が停まっているが、おそらくは司馬遼太郎の小説『項羽と劉邦』の中で韓信を評しての言葉「雀の体に鳳凰の翼が生えているような男<ref group="注">小物であるがそれに似つかわしくない異常な才能を秘めている、という意味であろう。</ref>」が元ネタと思われる。
*肩には雀が停まっているが、おそらくは司馬遼太郎の小説『項羽と劉邦』の中で韓信を評しての言葉「雀の体に鳳凰の翼が生えているような男<ref group="注">小物であるがそれに似つかわしくない異常な才能を秘めている、という意味であろう。</ref>」が元ネタと思われる。
*「狡兎死して良狗烹られる」という言葉や、項羽からの天下三分の誘いを拒否したことなどから、劉邦の疑心暗鬼による粛清の被害者としてよくあげられるが、実情はまるで異なる。韓信は楚漢戦争中から、劉邦の足元を見て王位を強請る、劉邦の援軍要請を無視(このせいで劉邦は項羽に敗北した)など、たびたび問題行動を起こしていた。そもそも韓信が最初に劉邦に捕縛されることになったのも、指名手配されている楚の将軍を勝手に匿ったことが切っ掛けである。
**秦末~楚漢戦争の時代には軍を預けた将が、攻め取った地で勝手に王を名乗り独立するという事例が多発しており、韓信の振る舞いは劉邦からすれば謀反人予備軍も同然のことである。ために劉邦は楚漢戦争中から、韓信から将である印綬と兵を奪ったり、韓信の攻め取った斉から、故郷への栄転の名目で領地の少ない楚王へ移すなど、韓信の力を削ぐことに注力していた。
**つまり韓信の粛清は半ば計画されていたもので、決して劉邦が疑心暗鬼で罪のない家臣を不当に殺したわけではない。フォローすると最初の捕縛で劉邦は、韓信を処刑することはなく淮陰侯への降格で留めており、韓信の処刑は劉邦に断りなく独断で行われた。なのであくまで可能性であるが、劉邦は韓信を警戒していても殺す気まではなかったかもしれない。
== 脚注 ==
== 脚注 ==