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| ==名台詞== | | ==名台詞== |
| + | <!--===ぐだぐだエース===--> |
| ===Fate/Grand Order=== | | ===Fate/Grand Order=== |
| + | ====戦闘==== |
| ;「駆けよ、放生月毛! 毘沙門天の加護ぞ在り! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「刀八毘沙門天よ、我が身に宿り神威を奮ふるえ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「長尾景虎推参! ゆくぞ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! ──成敗!」<br>「あははははははは! 退くは地獄か進むは楽土か──『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! にゃー!」 | | ;「駆けよ、放生月毛! 毘沙門天の加護ぞ在り! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「刀八毘沙門天よ、我が身に宿り神威を奮ふるえ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「長尾景虎推参! ゆくぞ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! ──成敗!」<br>「あははははははは! 退くは地獄か進むは楽土か──『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! にゃー!」 |
| :宝具発動時の台詞。宝具台詞をここまで沢山持っているのはかなり珍しい。 | | :宝具発動時の台詞。宝具台詞をここまで沢山持っているのはかなり珍しい。 |
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− | ===ぐだぐだエース===
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| ==メモ== | | ==メモ== |
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| *後に公開された真名は上記の上杉謙信の別名である「長尾景虎」であり、予想した人間の多くが正解となった。 | | *後に公開された真名は上記の上杉謙信の別名である「長尾景虎」であり、予想した人間の多くが正解となった。 |
| *CVを担当する水樹奈々氏は今回が『Fate』シリーズ初参加で、一部ユーザーから「Fateにフェイト・テスタロッサ(『魔法少女リリカルなのは』シリーズのメインキャラ)が来た」と言われている。 | | *CVを担当する水樹奈々氏は今回が『Fate』シリーズ初参加で、一部ユーザーから「Fateにフェイト・テスタロッサ(『魔法少女リリカルなのは』シリーズのメインキャラ)が来た」と言われている。 |
| + | **フェイト・テスタロッサは『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ|プリズマ☆イリヤ]]』とのコラボ企画で既に登場経験があるため、水樹氏の参加はか細い縁ながら完全に無縁というわけでもない。 |
| **ちなみに、誕生日が長尾景虎と同じだったりする。 | | **ちなみに、誕生日が長尾景虎と同じだったりする。 |
− | **フェイトというキャラの方は『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ|プリズマ☆イリヤ]]』とのコラボ企画により既に登場経験があるため、水樹氏の参加はか細い縁ながら完全に無縁というわけでもない。
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| *いつも通りの女体化……というわけでもなく、上記のように上杉謙信にはトンデモレベルではあるが「女性説」も普通に囁かれている。理由としては「生涯妻を持たなかった」「声が高いことが特徴」「月に一度は体調不良になっていた」などが挙げられている。 | | *いつも通りの女体化……というわけでもなく、上記のように上杉謙信にはトンデモレベルではあるが「女性説」も普通に囁かれている。理由としては「生涯妻を持たなかった」「声が高いことが特徴」「月に一度は体調不良になっていた」などが挙げられている。 |
| **トイレネタがやたらと多いのも、死んだ場所が厠であったからと思われる。なお、上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため、アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたものと推測されている。 | | **トイレネタがやたらと多いのも、死んだ場所が厠であったからと思われる。なお、上杉謙信は大酒飲みで有名であり、つまみとして塩や味噌を好んでいたため、アルコールの過剰摂取と塩分過多で高血圧になり、気温の低い厠で過剰に力んだ結果脳溢血を起こしたものと推測されている。 |
− | ***『FGO』でもこのネタが採用されており、信長が語ったウォシュレットに興味を持っている他、酒盛りをした時は五時間以上も飲み続けて他の酒飲みのサーヴァント達を全員潰してしまい、サーヴァント界一の酒豪であることを証明している。 | + | ***『Grand Order』でもこのネタが採用されており、信長が語ったウォシュレットに興味を持っている他、酒盛りをした時は五時間以上も飲み続けて他の酒飲みのサーヴァント達を全員潰してしまい、サーヴァント界一の酒豪であることを証明している。 |
| **本来、長尾家は関東管領・上杉家の家宰(主家の政務を家長に代わり取り仕切る役割。のちの家老)職を代々務めていた家であり、景虎の三条長尾家は越後守護代として越後守護上杉家に仕えていたが、越後守護・上杉定実が後継ぎを遺さず死去したのち景虎が越後国を引き継ぐことを将軍・足利義輝に認められた。2年後、北条氏康との戦いに敗れた関東管領・上杉憲政が越後に逃れ、追撃してきた北条軍を景虎が撃退。同年の武田晴信(のちの信玄)の侵攻も退ける(第一次川中島の戦い)などして発言権を増し、この後も武田氏や北条氏との戦や和睦を繰り返した末に永禄4(1561)年、関東管領・上杉憲政の養子となる形で山内上杉家の当主および関東管領の地位を相続、名を上杉政虎と改めた。さらに同年、将軍義輝より一字を賜り、輝虎と改名する。有名な「上杉謙信」を名乗るのは元亀元(1570)年以降のことであり、謙信は僧としての法号である。<br>サーヴァントとしての名を「長尾景虎」としたのは武将としての逸話の中核をなす川中島の戦い、天文21(1552)年の第一次から永禄7(1564)年の第五次までのうち、五分の三をその名で戦ったゆえに全盛期として設定されたものと思われる。 | | **本来、長尾家は関東管領・上杉家の家宰(主家の政務を家長に代わり取り仕切る役割。のちの家老)職を代々務めていた家であり、景虎の三条長尾家は越後守護代として越後守護上杉家に仕えていたが、越後守護・上杉定実が後継ぎを遺さず死去したのち景虎が越後国を引き継ぐことを将軍・足利義輝に認められた。2年後、北条氏康との戦いに敗れた関東管領・上杉憲政が越後に逃れ、追撃してきた北条軍を景虎が撃退。同年の武田晴信(のちの信玄)の侵攻も退ける(第一次川中島の戦い)などして発言権を増し、この後も武田氏や北条氏との戦や和睦を繰り返した末に永禄4(1561)年、関東管領・上杉憲政の養子となる形で山内上杉家の当主および関東管領の地位を相続、名を上杉政虎と改めた。さらに同年、将軍義輝より一字を賜り、輝虎と改名する。有名な「上杉謙信」を名乗るのは元亀元(1570)年以降のことであり、謙信は僧としての法号である。<br>サーヴァントとしての名を「長尾景虎」としたのは武将としての逸話の中核をなす川中島の戦い、天文21(1552)年の第一次から永禄7(1564)年の第五次までのうち、五分の三をその名で戦ったゆえに全盛期として設定されたものと思われる。 |
| *クラスはランサーだが、川中島の戦で武田信玄に軍配の上から斬り付けた逸話をはじめ、剣の武勇が多く伝えられている。信玄の死後、甲斐の僧・教雅が信玄の言葉として「おおかた太刀においては日本無双の名大将にて御入り候」と謙信を評していたと書状に残している。 | | *クラスはランサーだが、川中島の戦で武田信玄に軍配の上から斬り付けた逸話をはじめ、剣の武勇が多く伝えられている。信玄の死後、甲斐の僧・教雅が信玄の言葉として「おおかた太刀においては日本無双の名大将にて御入り候」と謙信を評していたと書状に残している。 |
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| ==話題まとめ== | | ==話題まとめ== |
− | ;謙信の死後の上杉家 | + | ;謙信死後の上杉家 |
| :上述のように謙信は厠で急死するのだが、具体的な後継者を定めていなかった為に、その死後、家督を巡って養子の上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の七男)が「御館の乱」と呼ばれる激しい家督争いを繰り広げた。 | | :上述のように謙信は厠で急死するのだが、具体的な後継者を定めていなかった為に、その死後、家督を巡って養子の上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の七男)が「御館の乱」と呼ばれる激しい家督争いを繰り広げた。 |
| :当初は北条と武田の援助と上杉憲政の支持があった景虎が優勢であったが、景勝が春日山城を奪取した事で形勢が逆転。その後は武田勝頼の援軍を得た景虎が盛り返した事で一旦和睦するも、勝頼は景勝方に付いて撤退してしまい、景虎は孤立無援の状態になってしまう。 | | :当初は北条と武田の援助と上杉憲政の支持があった景虎が優勢であったが、景勝が春日山城を奪取した事で形勢が逆転。その後は武田勝頼の援軍を得た景虎が盛り返した事で一旦和睦するも、勝頼は景勝方に付いて撤退してしまい、景虎は孤立無援の状態になってしまう。 |