差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
180 バイト追加 、 2020年7月23日 (木) 06:12
→‎メモ: 補足を追加
233行目: 233行目:  
*属性が「中庸」であるが、これはゾロアスター教の在り方と関連していると思われる。ゾロアスター教の習俗を記載した百科事典「デーンカルド・第三巻」には両極端の悪を回避する「中庸の徳」について記述されている。しかしゾロアスター教において崇拝される女神アールマティの加護を受けてはいるが、アーラシュ本人がゾロアスター教の習わしの影響を受けてるかは不明なのであくまで仮説である。
 
*属性が「中庸」であるが、これはゾロアスター教の在り方と関連していると思われる。ゾロアスター教の習俗を記載した百科事典「デーンカルド・第三巻」には両極端の悪を回避する「中庸の徳」について記述されている。しかしゾロアスター教において崇拝される女神アールマティの加護を受けてはいるが、アーラシュ本人がゾロアスター教の習わしの影響を受けてるかは不明なのであくまで仮説である。
 
**身体(内部の意識)には3種類の能力があるとされる。記憶の力(対象を求めて獲得)、耳の力(保持・回想)、知慧の力(嘱目・識別・活動)、そして知慧は天眼(メーノーグ的観照)に到達出来る。身体(外部の意識)には7つの特別なものが創出され、その中の5つは感官(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)がある。喜悦には2種類あり、内から起こって外へ向かうもの、外から起こって内へ向かうもの(恐らく上述の内的要因と外的要因の話)。認識(知)と喜悦は両方とも力であり、知は生気を経て、喜悦は意欲の道を経て心(思考)に到る。知は生気から心への道が完全かつ清浄であるとき天眼になり、喜悦のほうにも多少影響を与える。喜悦の過多により中庸でなくなることは知の欠如であり、無自覚となる。逆に喜悦が欠如し知が過多となれば厚顔無恥となる。ようは視覚ではなく知慧こそが天眼に到達出来るとされ、知慧と喜悦の合一される中庸であることが重要という考え。
 
**身体(内部の意識)には3種類の能力があるとされる。記憶の力(対象を求めて獲得)、耳の力(保持・回想)、知慧の力(嘱目・識別・活動)、そして知慧は天眼(メーノーグ的観照)に到達出来る。身体(外部の意識)には7つの特別なものが創出され、その中の5つは感官(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)がある。喜悦には2種類あり、内から起こって外へ向かうもの、外から起こって内へ向かうもの(恐らく上述の内的要因と外的要因の話)。認識(知)と喜悦は両方とも力であり、知は生気を経て、喜悦は意欲の道を経て心(思考)に到る。知は生気から心への道が完全かつ清浄であるとき天眼になり、喜悦のほうにも多少影響を与える。喜悦の過多により中庸でなくなることは知の欠如であり、無自覚となる。逆に喜悦が欠如し知が過多となれば厚顔無恥となる。ようは視覚ではなく知慧こそが天眼に到達出来るとされ、知慧と喜悦の合一される中庸であることが重要という考え。
 +
**このゾロアスター教の「中庸の徳」は、教祖ザラスシュトラが唱えた「天則」にアリストテレス哲学を加えてより洗練させたもの。
    
==話題まとめ==
 
==話題まとめ==
744

回編集

案内メニュー