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*中国史において「最強の武将は誰か?」という問いに[[呂布奉先|呂布]]や関羽と共に必ず名前が挙がる人物。なお、呂布とは「狂戦士」のクラスという共通点がある。 | *中国史において「最強の武将は誰か?」という問いに[[呂布奉先|呂布]]や関羽と共に必ず名前が挙がる人物。なお、呂布とは「狂戦士」のクラスという共通点がある。 | ||
− | **対秦戦争の山場である鉅鹿戦では、手持ちの兵力が5万から10万なのに対し、敵の秦軍は30万以上、率いるのは秦最後の名将、章邯<ref>どれくらいの化け物かというと、調理跋扈する反乱軍を一匹残らず殲滅した秦の白い悪魔というべき存在。頂梁も章邯に敗北して戦死している。鉅鹿戦の後も互角以上の戦力を有していたが、首都に向かわせた使者から「負けても殺されるし、勝っても冤罪着せられて殺される」という報告を受けたので頂羽に降伏した。余力を残した状態で降伏したため、後に章邯と数名の高級将校以外は生き埋めという悲劇を迎えることになってしまった。</ref>という化け物を相手に、手持ちの食料だけで狂戦士のような突撃を繰り返して勝利。この結果、秦の最後の戦力は壊滅し、対秦軍領袖の地位を不動の物とした。その一方で劉邦軍が回り道をする形で進撃し、項羽よりも先に秦の首都を落としていた。 | + | **対秦戦争の山場である鉅鹿戦では、手持ちの兵力が5万から10万なのに対し、敵の秦軍は30万以上、率いるのは秦最後の名将、章邯<ref group = "注" >どれくらいの化け物かというと、調理跋扈する反乱軍を一匹残らず殲滅した秦の白い悪魔というべき存在。頂梁も章邯に敗北して戦死している。鉅鹿戦の後も互角以上の戦力を有していたが、首都に向かわせた使者から「負けても殺されるし、勝っても冤罪着せられて殺される」という報告を受けたので頂羽に降伏した。余力を残した状態で降伏したため、後に章邯と数名の高級将校以外は生き埋めという悲劇を迎えることになってしまった。</ref>という化け物を相手に、手持ちの食料だけで狂戦士のような突撃を繰り返して勝利。この結果、秦の最後の戦力は壊滅し、対秦軍領袖の地位を不動の物とした。その一方で劉邦軍が回り道をする形で進撃し、項羽よりも先に秦の首都を落としていた。 |
**楚漢戦争の彭城の戦いは、寝込みを急襲したような形になったとはいえ、3万の軍勢で56万の漢軍を殲滅、そのうち20万を殺害…という冗談としか思えないような戦果を上げている。 | **楚漢戦争の彭城の戦いは、寝込みを急襲したような形になったとはいえ、3万の軍勢で56万の漢軍を殲滅、そのうち20万を殺害…という冗談としか思えないような戦果を上げている。 | ||
**彭城の戦いでは楚軍の本拠地を占領して油断した漢軍56万を楚軍3万で強襲し、城内の漢軍は10万人が討ち取られ、残りの10万人は敗走中に睢水の川に追い込まれ、溺死したと伝えられる。大量の漢軍兵士の死体で川が塞き止められたとも、真っ赤に染まったとも伝えられており、劉邦も戦死一歩手前にまで追い詰められた。後世の後漢末期の「合肥の戦い」<ref group = "注">呉の孫権が率いる10万の軍勢を、魏の将軍で呂布の元部下の張遼が僅か7000で破った戦い。この戦いで張遼の武名は天下に轟き、呉では「張遼が来た!」と言うだけで泣く子供も黙りこんだとされる。</ref>や五胡十六国時代の「淝水の戦い」<ref group = "注">西暦383年に華北の前秦と江南の東晋が激突した戦い。前秦軍120万に対し、東晋軍は8万で対峙。しかし、雑多な民族の集まりで統制が取れていなかった前秦軍は作戦ミスで混乱状態に陥り、そこに突撃してきた東晋軍によって潰滅してしまう。前秦は参加兵力の実に80%以上を失い、数年後に滅亡する。</ref>や日本戦国時代の「桶狭間の戦い」と共に、寡兵で大軍を討ち破った代表的な戦いだと伝えられている。 | **彭城の戦いでは楚軍の本拠地を占領して油断した漢軍56万を楚軍3万で強襲し、城内の漢軍は10万人が討ち取られ、残りの10万人は敗走中に睢水の川に追い込まれ、溺死したと伝えられる。大量の漢軍兵士の死体で川が塞き止められたとも、真っ赤に染まったとも伝えられており、劉邦も戦死一歩手前にまで追い詰められた。後世の後漢末期の「合肥の戦い」<ref group = "注">呉の孫権が率いる10万の軍勢を、魏の将軍で呂布の元部下の張遼が僅か7000で破った戦い。この戦いで張遼の武名は天下に轟き、呉では「張遼が来た!」と言うだけで泣く子供も黙りこんだとされる。</ref>や五胡十六国時代の「淝水の戦い」<ref group = "注">西暦383年に華北の前秦と江南の東晋が激突した戦い。前秦軍120万に対し、東晋軍は8万で対峙。しかし、雑多な民族の集まりで統制が取れていなかった前秦軍は作戦ミスで混乱状態に陥り、そこに突撃してきた東晋軍によって潰滅してしまう。前秦は参加兵力の実に80%以上を失い、数年後に滅亡する。</ref>や日本戦国時代の「桶狭間の戦い」と共に、寡兵で大軍を討ち破った代表的な戦いだと伝えられている。 |
2020年3月24日 (火) 20:11時点における版
バーサーカー | |
---|---|
真名 | 項羽 |
読み | こうう |
性別 | 男性 |
身長 | 310cm |
体重 | 480kg |
出典 | 史実及び異聞帯 |
地域 | 中国 |
属性 | 秩序・中庸 |
声優 | 山寺宏一 |
デザイン | danciao |
レア度 | ☆5 |
初登場作品 | Fate/Grand Order |
概要
「バーサーカー」のサーヴァント。「西楚の覇王」と呼ばれた中国の英傑。
- 略歴
- 『Fate/Grand Order』では第二章の中国異聞帯にて登場。
- 始皇帝の部下として登場し、芥ヒナコに合流して共に主人公らと戦うことに。
- 異聞帯では汎人類史と異なり始皇帝が滅びず、彼が埋もれる事も無かった為、「項羽」の名前や記憶については当然ながら持っておらず、ヒナコが自身に執着する事についても首を傾げている。
- 異聞帯における項羽(会稽零式)の扱いは、基本的に「モノ」に対するそれである。秦良玉は彼を指して「あれ」と呼び、始皇帝はヒナコに対して精神的苦痛を与えるためだけに自壊を命じている(そして項羽は即座にそれを実行しようとした)。[1]
- 物語の後半にヒナコが始皇帝に自身の身体データを提供した褒美として払い下げられ、共に異聞帯の片隅でひっそりと生きていくことを提案されるが、ヒナコから教えられた汎人類史の自分の話から再度戦う事を決意。
- 始皇帝がカルデアの戦いの果てに残るのは汎人類史だという結論に異を唱え、既にメンテナンスが追いつかずボロボロであるにも関わらずカルデアと奮戦し、虞美人への無念を零しつつ機能停止した。
- 人物
- ケンタウロスのような下半身、何本も生えた腕、3mを越える巨体という人間とは思えない恐ろしげな風貌をしているが、その正体は始皇帝によって哪吒の残骸を元に製造されたロボット「会稽零式」。
- カルデアで召喚された本人も何故このような姿になったのかと不思議がる程だが、実際は「中国異聞帯で改造され続けた果ての異形の姿に、汎人類史での人型のまま機能を停止した彼の精神が搭載されたもの」という扱い。元が機械であるため、不思議がりはしてもすぐに納得した。
- 実際はロボットであるため、恐ろしい外見とは裏腹に理知的な様子も見せるが、演算の結果によっては一切の説明もなく過激な破壊行動を行う。演算の結果も降って湧いたように与えられる上、それに従う事は本能や衝動と同じレベルの行為である為、他者に説明することがそもそもできずトラブルの原因になる事も多い。
- 正体が正体であるためか全体的に喋り方が機械的。
- 能力
- その体躯を活かして嵐のように複数の剣を振り回して戦う他、全身からビームのような物を発射する等人間離れした戦い方を見せる。
- だがそれらは戦闘の為の後付けであり、力の本質は超高速演算による未来予知じみた行動の先読み。
バリエーション
- 奇怪剣の項羽
- サーヴァントユニヴァースにおける項羽。「機械剣」のシャレであろうか。
- スペース神陰流の六剣客の一員であり、惑星ゼンジョーにあるクイーンズ女学院の新しい理事長に納まっている。
- 女学院では古参の教職員を次々にやめさせてロボットに置き換え、校風も「セイバーこそが至上」という価値観に変えてしまい、反発する生徒はスペース神陰流直営の教導施設に送り込んでいる。
- 本編中では最後まで残っていた教職員であるジャガーマンの手引きで乗り込んできたスペース・イシュタルと主人公一行と交戦し、敗北した。
- なお、彼としては悪意からやっているわけではなく、「スペース神陰流が蒼輝銀河を征服した場合に生徒が一番よくなるような教育」を考えた結果のようである。
ステータス
クラス | マスター | 筋力 | 耐久 | 敏捷 | 魔力 | 幸運 | 宝具 | クラス別能力 | 保有スキル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
バーサーカー | 主人公 (Grand Order) | A | A | A | C | D | C | 凶化:A+ | 未来予知:A→A++ 戦術躯体:B 覇王の武:A |
「未来予知」は幕間の物語クリアでAからA++にランクアップ。 |
宝具
- 力抜山兮氣蓋世(ばつざんがいせい)
- ランク:C
種別:対軍宝具
レンジ:1〜5
最大捕捉:50人 - 中国史屈指の勇名を誇る項羽の、故事成語ともなった武の具現。
- 人間型の躯体で召喚された場合には対人宝具として発動するが、異聞帯において付加された人馬型という異形の形態は、個人の武の威力を大量殺戮兵器にまで拡大してしまった。
- 『Fate/Grand Order』では「自身の宝具威力をアップ[注 1][注 2]&敵全体に強力な攻撃」という効果のQuick宝具。
真名:項羽
- 姓を項、名を籍、字を羽。
- 汎人類史においては秦王朝を滅ぼし劉邦と次なる天下を争った「西楚の覇王」。
- 残虐非道な虐殺の数々、無敵の武勲を誇りながらも首尾一貫しない政策で自陣営を自壊させていった様などは「匹夫の勇、婦人の仁」と揶揄される。
- 幼少期には学問も武芸もまるで習熟しようとせず、ただ兵法においてのみ概略を学んだだけで、あとは才気のみで頭角を現したとされている。
- 異聞帯における覇王の武力はもはや人の域にあるものではなく、その疾走は大軍を呑む嵐に等しい。
- まさに人知・道徳を超えた荒野の覇王。
- 果たして、その真実は───
関連
- 四面楚歌
- 楚漢戦争の最終局面、垓下の戦いでの出来事。故事成語にもなった。敵であるはずの漢軍から楚の歌が沸き立ったことで、楚軍は動揺し、項羽は己の最期を悟ったと言われる。
登場作品と役柄
Fateシリーズ
- Fate/Grand Order
- Lostbelt No.3『人智統合真国 シン』配信に伴い実装。
その他
- ちびちゅき!
- 教師役。同じく教師役になりたがる虞美人を「まだ学ぶべき事がある」と諭すことになった。
人間関係
生前
- 項梁
- 史実において叔父とされる人物。
- 『Fate/Grand Order』においては親族関係ではなく、始皇帝が製造した会稽零式を偶然発掘し、「項羽」の名を与えて甥として振る舞わせていた存在。
- 劉邦
- 最大の宿敵であり、後の漢の高祖帝。天下を争うも最終的に敗北する。反乱軍の同僚だったときもあり、その際に義兄弟の契りを結んでいる。
- 『Fate/Grand Order』においては始皇帝没後に乱世となった中華を纏め上げる器を持つ者として見出した存在。
- 虞美人によれば遅咲きで力足らずであったため、彼に先んじて群雄を平定して成長の猶予を作り、それでも間に合わず、中華全土を治めるには足らぬと予知すると彼でも治められるサイズまで中華を「縮める」ために大虐殺を行ったという。
- 虞美人
- 最愛の妻。京劇の「覇王別姫」は、彼女との別れの場面を描いたものである。
- もっとも、史書において彼女の記述はほとんど無く、「項羽の寵姫に虞美人という者が居たといわれる」こと以外はまったく不明である。
- FGOにおいては不死の精霊種。自分と別れた後も永遠を生きる彼女の行く末が、機械として生きた彼にとっての唯一の心残りとなった。
- 本人が天然なのか自分の前での彼女しか知らない為か、「温和な淑女」と実態とはかけ離れた印象[注 3]を抱いている。
- 韓信
- 「漢三傑」の一人で国士無双と謳われた名将。当初は項羽に仕えていたが、冷遇した事で離反されてしまう。主として劉邦軍の別働隊として動き、項羽に対する包囲網を形成した。
後に北方の斉を従えた彼に「劉邦を裏切り自分の下に付け」と持ち掛ける。しかし劉邦への忠義を重んじた韓信に一蹴された。 - 張良
- 「漢三傑」の一人で劉邦の軍師。秦に対する反乱軍の時代から、劉邦軍の戦略面を支え続けた。秦に滅ぼされた韓の遺臣でもあり、始皇帝の暗殺を計画・実行する激しさも持つ。女性と見紛うほどの容貌の持ち主だったという。
- 蕭何
- 「漢三傑」の一人で漢軍の兵站・内政を担当。政治家の理想像ともされる。漢兵を餓えさせる事が一度も無かった程の采配を見せて劉邦の勝利に貢献した。
- 范増
- 軍師であり、項羽が亜父(父に次ぐ者)とまで呼んで重んじた者だったが、疑念を抱いた事で引退に追い込んでしまう。
- 英布
- 家臣で義帝暗殺などの汚れ仕事を行わせたが、冷遇したことで離反される。
- 始皇帝
- 史実では故国を滅ぼした怨敵。始皇帝の巡行の列を見て放った「彼奴に取って代わってくれるわ」という挑戦の叫びは、覇王・項羽のスタートラインでもある。
- 『Fate/Grand Order』においては彼を設計・製造した存在であり、本来仕えていた相手。中国異聞帯では彼の治世が続いているため、そのまま仕え続けている。
- 陳勝・呉広
- 秦の圧制に対し、中国史上初の農民一揆を起こした英傑達。彼等の反乱に呼応して項梁達は挙兵した。
名台詞
本編
- 「否……認めぬ。」
- 「それが人間たちの結論であったとしても、 私には容れられぬ」
- 「すでに私は陛下の臣にあらず。我が忠義は、我が伴侶、虞美人にのみ捧げるもの。」
- 「
秦 を、この異聞帯を、虞は、我が妻は安息の地と見定めた。
長い、あまりにも長い放浪の末に、ようやく見出した安息。その思いに私は背を向けられぬ。」 - 始皇帝は膝をつき、勝敗が決したあと、一人立ち上がり、かつての主人の決定に異議を唱えながら。
- 「いいや、この体躯はまだ動く。空想樹を
伐 らせはしない。」 - 「虞の行く末は……我が最初で最後の祈りは、あの樹の枝の先にしかない
のだ。」 - 「汎人類史での
項羽 が果たせなかった想いを、その悲憤を、私はここに受け継ごう。」 - 「ここにただ一度だけ、天下の鎮定のためでなく、ただ一人の女のために矛を執る。」
- 「いざ、
項羽 の極限、見届けよ!」 - ボロボロの体を引きずり、最愛の妻との安住の地を守るために、会稽零式としてではなく、項羽として最後の戦いに挑む。
- また、この戦闘時、項羽は常時「致命的損壊」のデバフがかかっており、チャージ減少、スリップダメージと、とっくに限界を迎えながら戦っている事がわかる。
マイルーム
- 「汝とは果たしていかなる縁にて結びついたのだろうか?」
- 召喚時のセリフ(の一部)。
- カルデアに召喚される項羽は「汎人類史の項羽をベースに、異聞帯における項羽の戦闘能力が統合されたもの」であるため、異聞帯における主人公たちとの出会いの記憶を持たない。
- 今までの異聞帯サーヴァントには異聞帯における存在がそのままサーヴァントとして招聘されているものも複数いる(同異聞帯でも始皇帝がそうである)が、何故項羽だけこんな状態になっているのかというと、「英霊の座に記録された項羽」は汎人類史のものである一方、主人公が縁を結んだのは異聞帯の項羽であるという相違があるためだと思われる。
- 「ここまで戦闘に特化した躯体を与えられたのは想定外だ。」
- 「むしろ驚くべきはこの躯体だが……」
- それぞれ、第1霊基再臨時、マイルーム会話「絆Lv1」。
- 異形とも言える戦闘特化の体躯は項羽自身にとっては想定外のものだが、運用そのものには戸惑いはない。
- 汎人類史の項羽は戦闘に明け暮れた存在ではあったが普通の人型であったため、その認識が残っている。
- 「嗚呼……生涯ただ一つの無念が……今ここに報われた」
- マイルーム会話「虞美人」。
- 生前の項羽は、虞美人は自分が居なければ当てもなく迫害されるがままに彷徨うしかない存在である事を理解しており、自身が戦いで機能停止し虞美人だけを現世に残す事を唯一の心残りとしていた。
- サーヴァントとなりカルデアに召喚され、虞美人との再会を喜び、虞美人が彷徨う旅路を終えている事に心から安堵する。
- 「バーサーカーのクラスをあてがわれたのは不可解だ。 私はただ論理的、かつ効率的に事に当たるよう努めているだけなのだが……」
- マイルーム会話「絆Lv3」。
- 確かに論理的かつ効率的ではあるが、項羽はそれのみに特化され、目的に向かって頑なに邁進する。
- 英霊召喚システムにおいては、ただ一つの目的から外れることなく突き進む存在はまさにバーサーカーなのだが、項羽には自覚がないらしい。
メモ
- 中国史において「最強の武将は誰か?」という問いに呂布や関羽と共に必ず名前が挙がる人物。なお、呂布とは「狂戦士」のクラスという共通点がある。
- 対秦戦争の山場である鉅鹿戦では、手持ちの兵力が5万から10万なのに対し、敵の秦軍は30万以上、率いるのは秦最後の名将、章邯[注 4]という化け物を相手に、手持ちの食料だけで狂戦士のような突撃を繰り返して勝利。この結果、秦の最後の戦力は壊滅し、対秦軍領袖の地位を不動の物とした。その一方で劉邦軍が回り道をする形で進撃し、項羽よりも先に秦の首都を落としていた。
- 楚漢戦争の彭城の戦いは、寝込みを急襲したような形になったとはいえ、3万の軍勢で56万の漢軍を殲滅、そのうち20万を殺害…という冗談としか思えないような戦果を上げている。
- 彭城の戦いでは楚軍の本拠地を占領して油断した漢軍56万を楚軍3万で強襲し、城内の漢軍は10万人が討ち取られ、残りの10万人は敗走中に睢水の川に追い込まれ、溺死したと伝えられる。大量の漢軍兵士の死体で川が塞き止められたとも、真っ赤に染まったとも伝えられており、劉邦も戦死一歩手前にまで追い詰められた。後世の後漢末期の「合肥の戦い」[注 5]や五胡十六国時代の「淝水の戦い」[注 6]や日本戦国時代の「桶狭間の戦い」と共に、寡兵で大軍を討ち破った代表的な戦いだと伝えられている。
- 項羽は非常に直截的な性格の持ち主だった。これは彼を英雄と慕う楚兵にとっての大きな魅力だったが、一方でそれに伴う数々の政治的失敗があり、結果的に劉邦に敗北する。
- 特に『史記』を編纂した司馬遷は項羽を「自らの失敗を認めないのは、荒唐無稽にすぎる」と手厳しい。しかし一方で、史記において項羽を王者として扱っており、その行跡に関する描写も豊かである[注 7]。「史記」は司馬遷が亡父の遺志を継ぎ、個人として編んだ史書であるため、劉邦(漢王朝の創始者)と敵対した項羽に対しても、好意的とさえいえる視点で書かれている(無論欠点についても項羽・劉邦ともにしっかりと書かれている)。
- 項羽と劉邦の双方に仕え重用された陳平は、劉邦の人柄を「傲慢で無礼」としている一方で項羽の人柄を「恭敬で人を愛する」と評している。なので「理知的で礼儀正しい項羽」というのは、史実からそう外れたキャラ付けではない。
- ただし上記の評価はその後に「褒美を出し惜しむので人が従わない」「人を信じることができず、愛し任せるのは一族か妻の親族だけである」と続き、劉邦のほうは「褒美をよく出すので利を好む連中が集ってくる」と続く。項羽がケチであることは、同時代の人物の多くが証言しており、秦末から楚漢戦争に突入していく切っ掛けの一つにもなった。一個人としてどちらの人格が優れていたかはともかく、君主として劉邦が項羽に勝っていたのは間違いないだろう。
- もっとも、皇帝に即位後の劉邦は元々の猜疑心の強さが顕著になり、韓信などの功臣を死に追いやっている。ただし、漢が設立直後で反乱に対して皇帝である劉邦自身が親征して鎮圧するなど、情勢が全く安定していない時代であることは考慮する必要がある。
- ちなみに24歳で活動を開始し、30歳ぐらいでこの世を去っている。どちらかといえば子供っぽいのかもしれない。
- 外黄城を攻め落とした際には軍民問わずに15歳以上の男子を皆殺しにしようとしたが、仇叔(きゅうしゅく)という13歳の子供に虐殺をしないことの利を説かれ、中止した逸話も残されている。
- 秦を滅ぼした後の分封では、功績を上げた人間よりも、項羽と仲がいい人間を優遇した。露骨なまでの依怙贔屓ぶりが、楚漢戦争のきっかけになった。
- 秦を滅ぼして事実上中華の王になったにも関わらず、当時もっとも豊かな土地だった関中(旧秦領)の王にはならず、祖国の楚王となった。関中の王にならない理由をある人物に問われると、項羽は「富貴を得て、故郷に帰らないのは、夜中に一張羅を着て歩くのと同じだ。誰もみてくれない」と語った。その人物は退出した後に「人は「楚人は猿が冠を被っているのと同じだ」というが、まさにその通りだ」とうそぶいたので、項羽は怒ってその人物を釜ゆでにしてしまった。楚漢戦争が始まると関中は真っ先に劉邦の領土となった。劉邦が項羽に勝てたのもチート級の逸材が揃っていた事に加えて、関中からの補給が滞りなく行われたことも理由に上げられる。
- 苛烈なエピソードは多く、秦の首都「咸陽」に進軍した際にはその進路上の都市を落とすと、軍民も女子供も問わずに皆殺しにしていたが、結果的にこの方法は「項羽軍には降伏しても皆殺しにされてしまう」として進退窮まった敵軍の猛烈な抵抗に合い、劉邦に咸陽制圧の先を越されてしまった。他にも秦の降将章邯と共に項羽に従った秦兵が反乱を起こそうとした際には20万人に夜襲を掛けて、丸ごと生き埋めにしたりするなど容赦がなく、自軍の軍師で亜父(父に次ぐ者)と呼んで信頼した范増にすら「他人にひどいことをすることに忍びない(我慢がない)」を評されている。
- 2部開始前からCM等の映像に出演していたサーヴァントの一人。その特異なシルエットから真名予想の難易度も高く、一部では「赤兎馬と人馬一体(物理)になった呂布」という予想が有力視されていた。
話題まとめ
脚注
注釈
- ↑ 1ターン
- ↑ オーバーチャージで効果UP
- ↑ しかしよく見られるツンケンした性格は、人類に迫害された過去に基づくものなため、本来の性格が項羽だけに見せる「温和な淑女」である可能性もある
- ↑ どれくらいの化け物かというと、調理跋扈する反乱軍を一匹残らず殲滅した秦の白い悪魔というべき存在。頂梁も章邯に敗北して戦死している。鉅鹿戦の後も互角以上の戦力を有していたが、首都に向かわせた使者から「負けても殺されるし、勝っても冤罪着せられて殺される」という報告を受けたので頂羽に降伏した。余力を残した状態で降伏したため、後に章邯と数名の高級将校以外は生き埋めという悲劇を迎えることになってしまった。
- ↑ 呉の孫権が率いる10万の軍勢を、魏の将軍で呂布の元部下の張遼が僅か7000で破った戦い。この戦いで張遼の武名は天下に轟き、呉では「張遼が来た!」と言うだけで泣く子供も黙りこんだとされる。
- ↑ 西暦383年に華北の前秦と江南の東晋が激突した戦い。前秦軍120万に対し、東晋軍は8万で対峙。しかし、雑多な民族の集まりで統制が取れていなかった前秦軍は作戦ミスで混乱状態に陥り、そこに突撃してきた東晋軍によって潰滅してしまう。前秦は参加兵力の実に80%以上を失い、数年後に滅亡する。
- ↑ 家臣たちの記録である「列伝」や諸侯の記録である「世家」ではなく、中華の支配者の記録である「本紀」に項羽を位置づけている。秦末の動乱期に王を称した人物はほとんど列伝か世家で、項羽のみ別格の扱いとなっている。そもそも、項羽というのは性+字(あざな)で姓名ではない。中国では目上以外の人間が、当該人物を名で呼ぶのは無礼とされ、その代わりに字で呼んでいた。従って、本来なら項籍と書くべきところを、項羽と書くのは尊敬の現われであり、史書において実名を書かない待遇を受けているのは、皇帝を除いてはほんの僅かである。ちなみに、劉邦の正室で中国三大悪女の一人とされた呂雉も「本紀」に記載されている。
出典
リンク
- ↑ なお、項羽に対するこの扱いにヒナコ(虞美人)が怒りを持つ描写は無い