「悪路の高丸」の版間の差分

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== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
;悪路王
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;悪路の高丸
:悪路の高丸、その別名。
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:悪事の高丸、その別名。本地譚では高丸悪路、安倍高丸などともされる架空の人物。
:悪路王に関する最古の記録は鎌倉幕府の公式記録を記したとされる『吾妻鏡』文治5年(1189年)9月28日の条にある。
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:高丸について書かれた文献は1352年~1361年頃成立と推定される『神道集』巻4「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」や、1356年成立の『諏方大明神画詞』9-11段が挙げられる。
:どちらかといえば悪路王の名の方が広く知られており、彼は蝦夷の首長としてその地を支配していたという。その名前は伝承ごとに表記が異なり、悪事(あくじ)の高丸、安倍高丸など複数の名称を持つ。
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:『神道集』「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」のあらすじは、稲瀬五郎田村丸が鞍馬寺の毘沙門天から授かった堅貪という剣と諏訪明神や住吉明神の加護で悪事の高丸を討伐したというもの。
:本来は別の鬼であった鈴鹿山の大嶽丸の伝説が東北地方に伝わったことで、東北各地に残る悪路王伝説と結び付いた。そのため大嶽丸と高丸を同一人物、あるいは悪路王から大嶽丸に至るまで一人の存在を指しているとの説がある。さらに『人首丸伝説』においては、悪路王と大武丸は兄弟とされている。
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:この稲瀬五郎田村丸とは、[[坂上田村麻呂]]をモデルとした御伽草子(室町物語)『鈴鹿の草子(田村の草子)』の中で田村丸俊宗が名乗った稲瀬五郎坂上俊宗である。諏訪大社が祭事の由緒に御伽草子の物語を採り入れた、もしくは『鈴鹿の草子(田村の草子)』が諏訪大社の祭事を物語に採り入れたと考えられている。『鈴鹿の草子(田村の草子)』は1486年には成立していた。
:型月世界における両者の関係の有無は不明。
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:『田村の草子』の中では「近江の高丸」として登場し、『田村の草子』を底本とした江戸時代成立の『田村三代記』でも「明石の高丸」としている(明石は近江国と設定されている、悪事が明石に転訛したものか)。
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:明治時代に活躍した民俗学者・伊能嘉矩が『吾妻鏡』の悪路王は「大高丸→悪事の高丸→悪路王」と転訛したと著書に記した。ここから悪事の高丸=悪路王=[[大嶽丸]]との伊能説が広まったものの、実のところ定説とまではいえない。東北地方の悪事の高丸伝説は、奥浄瑠璃『田村三代記』が神社やお寺で演じられ、物語がそのまま本地譚として由緒に採り入れている。そのため『田村語り』の成立と構造の研究の進んでいる平成以降の書籍や論文では伊能説とは異なり、悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物として扱われている。
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:[[鈴鹿御前]]の出典を『田村の草子』『田村三代記』としているが、原点では上記のとおり悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物が定説とされている。型月世界における悪事の高丸と悪路王、大嶽丸の関係の有無は不明。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2019年7月22日 (月) 07:04時点における版

悪路の高丸
読み あくじのたかまる
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概要

Fate/EXTRA CCC FoxTail』に登場する。身の丈10mを超えんかと筋骨隆々とした姿。

略歴
鈴鹿御前の回想に登場。
坂上田村麻呂らが討伐した鬼の一人。
人物
詳細不明。
見た目は大嶽丸と違い、背丈も図抜けて高く鬼らしい姿をしている。
鈴鹿御前曰く「最近ちょっと調子にノッていた」らしく、二人によって討伐された。

登場作品と役柄

Fateシリーズ

Fate/EXTRA CCC FoxTail
セイバーの回想シーンに登場。

人間関係

坂上田村麻呂鈴鹿御前
彼ら二人によって、悪路の高丸は討伐された。

メモ

  • 大嶽丸と同じく、子孫や先祖帰りがほとんどで触れられてこなかった、本物の「鬼」の一人。
    • 人間ほどの頭身である大獄丸とは違い、鬣を靡かせ、牙も生えている想像上の鬼そのものの姿。ただし鬼種としてどちらに属しているかは大嶽丸同様に不明である。
  • 悪事の高丸の名前は『神道集』第十七 信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事など、主に諏訪大社の縁起などに登場する。鞍馬寺の毘沙門天より下賜された堅貪という剣や、諏訪明神などの加護により悪事の高丸を討伐したという。

話題まとめ

悪路の高丸
悪事の高丸、その別名。本地譚では高丸悪路、安倍高丸などともされる架空の人物。
高丸について書かれた文献は1352年~1361年頃成立と推定される『神道集』巻4「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」や、1356年成立の『諏方大明神画詞』9-11段が挙げられる。
『神道集』「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」のあらすじは、稲瀬五郎田村丸が鞍馬寺の毘沙門天から授かった堅貪という剣と諏訪明神や住吉明神の加護で悪事の高丸を討伐したというもの。
この稲瀬五郎田村丸とは、坂上田村麻呂をモデルとした御伽草子(室町物語)『鈴鹿の草子(田村の草子)』の中で田村丸俊宗が名乗った稲瀬五郎坂上俊宗である。諏訪大社が祭事の由緒に御伽草子の物語を採り入れた、もしくは『鈴鹿の草子(田村の草子)』が諏訪大社の祭事を物語に採り入れたと考えられている。『鈴鹿の草子(田村の草子)』は1486年には成立していた。
『田村の草子』の中では「近江の高丸」として登場し、『田村の草子』を底本とした江戸時代成立の『田村三代記』でも「明石の高丸」としている(明石は近江国と設定されている、悪事が明石に転訛したものか)。
明治時代に活躍した民俗学者・伊能嘉矩が『吾妻鏡』の悪路王は「大高丸→悪事の高丸→悪路王」と転訛したと著書に記した。ここから悪事の高丸=悪路王=大嶽丸との伊能説が広まったものの、実のところ定説とまではいえない。東北地方の悪事の高丸伝説は、奥浄瑠璃『田村三代記』が神社やお寺で演じられ、物語がそのまま本地譚として由緒に採り入れている。そのため『田村語り』の成立と構造の研究の進んでいる平成以降の書籍や論文では伊能説とは異なり、悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物として扱われている。
鈴鹿御前の出典を『田村の草子』『田村三代記』としているが、原点では上記のとおり悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物が定説とされている。型月世界における悪事の高丸と悪路王、大嶽丸の関係の有無は不明。

脚注

注釈


出典


リンク