「ドイツ第三帝国」の版間の差分

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:『帝都聖杯奇譚』ではヒトラーの死後に日本に訪れ、マスターとして参戦した。
 
:『帝都聖杯奇譚』ではヒトラーの死後に日本に訪れ、マスターとして参戦した。
  
;[[メドゥーサ|レイター少佐]]
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:上記の「総統」の部下として『帝都聖杯奇譚』に登場。
 
:上記の「総統」の部下として『帝都聖杯奇譚』に登場。
  

2018年5月26日 (土) 23:23時点における版

概要

1933年から1945年にドイツに存在していた国家。通称「ナチスドイツ」。
アドルフ・ヒトラーを総統とする全体主義国家であり、1939年にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦を引き起こした。
第三帝国という名称は、「神聖ローマ帝国」「ドイツ帝国」に続く、三番目のドイツ統一国家という名称であり、実際には帝政は敷かれていない。

魔術的側面

史実でもオカルトに傾倒し、ゲルマン民族の遺産を研究・回収する遺産管理局「アーネンエルベ」を設立していたが、TYPE-MOON世界でも同様だった模様。
その一環としてダーニック・プレストーン・ユグドミレニアと手を組み、冬木市で行われた第三次聖杯戦争に参戦している。
Fate/Apocrypha』ではダーニックと共に勝利した後、冬木の大聖杯を基盤ごと引っこ抜いて奪い取るというとんでもない事をやってのけた。
聖杯戦争関連でもいくつもの英霊に関連した魔術関連の技術を開発・運用している。

人造英霊兵団ヘルト・クリーガー

「大聖杯を介さずにサーヴァントを召喚・使役した軍勢」というとんでもない代物。
生体部品を使用してサーヴァントの霊核を仮想再現し、「疑似英霊」とでも言うべき存在を生み出す。
本来は到底実現不可能な代物だが、とある事故のせいで「実現せずして実現してしまった」とか。
まともな召喚ではないため通常なら召喚不可能な神霊まで召喚可能で、さらには元の英霊とは完全に別の存在となる為純粋な駒として運用できるといいことずくめ。
その反面元の英霊なら絶対に犯さないようなミスもする可能性はあるし、もれなく神性スキルがついてくるため同スキルに特攻を持つサーヴァント相手ではカモにされてしまうという欠点も持つ。

甲型英霊拘束具

大日本帝国のバーサーカーが使用していた魔術礼装。基礎となる技術をドイツ第三帝国が提供していた。
土地から無理矢理魔力を吸い上げて擬似的に不死身になれるが、使用した土地は死んでしまうという欠陥を持つ。
「拘束具」とついているのに着用者にはメリットばかりだが、ドイツ第三帝国が本来想定していた使用方法とは異なっているためらしい。

関連人物

アドルフ・ヒトラー
ドイツ第三帝国総統。
史実では1945年4月に自決したとされているが、『帝都聖杯奇譚』ではそれより少し早く命を落としている。
総統
上記のアドルフ・ヒトラーの影武者。
『帝都聖杯奇譚』ではヒトラーの死後に日本に訪れ、マスターとして参戦した。
レイター少佐
上記の「総統」の部下として『帝都聖杯奇譚』に登場。
ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
外部協力者。彼とともに冬木の第三次聖杯戦争に参戦する。
『Fate/Apocrypha』では聖杯戦争には勝利するものの、彼に出し抜かれて聖杯を強奪されてしまう。

関連組織

魔術協会
神秘を巡る敵対組織。
聖堂教会
同上。『帝都聖杯奇譚』では「栄光の右手」という封印されていた聖遺物を彼らから強奪している。

言及作品

メモ

  • 上記のように史実でもオカルトに傾倒していたが、ゲルマン民族を至上とするナチズムと融合した結果かなりとんでもない理論になってしまっており、一例を挙げると聖杯伝説は本来ゲルマン民族のものであったが悪辣なユダヤ人とアングロサクソン人に奪い取られた。従って聖杯は当然の権利として我らが取り返さねばならない」等というアルトリア・ペンドラゴンが聞いたら卒倒しそうなトンデモの域に至ってしまっている。
    • ハインリヒ・ヒムラー率いる武装親衛隊はヴェヴェルスブルク城を中心として「ブラック・キャメロット(黒円卓)」等と本気で名乗っていたほどである。
    • また、一説にはアドルフ・ヒトラーは「ロンギヌスの槍」を手に入れていた、とされている。
  • 魔術協会や聖堂教会との確執については詳細は書かれていないが、彼らからしてみれば一つの国家が総力を挙げて霊地や魔術遺産を軍事的に強奪していく、というのは相当な脅威であったと思われる。史実ではイギリス以外の欧州の大半が占領されてしまっていたことを考えると、当時の神秘を巡る事情については非常に興味深いところではある。
    • 余談だが、ドイツ第三帝国の中枢であったナチスが戦後に密かに南米に逃れており、バチカンがその手引きをしたという説がまことしやかに囁かれている。バチカンがモデルと思われる聖堂教会とは実際にどうだったのであろうか?

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