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| ==メモ== | | ==メモ== |
| + | *史実のオプリチニキ(もしくは、オプリーチニキ)は、皇帝直轄領(オプリーチニナ)を統治・守護する為に1565年に創設された。 |
| + | **当時のロシア帝国は大貴族の権勢が皇帝の権力を上回る程で、地方には貴族達の私領が多数存在していた。これらの私領を没収し、皇帝の権力基盤を強化する為にオプリーチニナ制度が作られた。 |
| + | *隊員は主に下級貴族出身者から選抜されたが、指揮官クラスには皇帝に忠誠を誓った門閥貴族から選抜されていた。 |
| + | *1565年に活動を開始すると、主に大貴族を中心に粛清の嵐が吹き荒れ、その犠牲者の総数は最大で1万人を超えるとも言われている。 |
| + | *しかし、皇帝の後ろ楯を得た事で次第に暴走するようになり、大貴族とは無関係な人々まで血祭りに挙げていくようになる。1571年にノヴゴロドで数千人も虐殺した事で活動は下火になり、翌1572年にイヴァン雷帝の命令で解散する事となる。 |
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| == 脚注 == | | == 脚注 == |