**また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。 | **また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。 |