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795 バイト追加 、 2021年12月17日 (金) 18:52
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*アムルを巡ってヒッタイトのムワタリ2世と戦ったカデシュの戦いは、史上初の軍事記録に残された戦争であり、成文化された世界初の国際平和条約が結ばれたこと有名である。オジマンディアスは戦争での大勝を国内で宣伝し、神殿の壁画などに記したが、これは誇張であり、実際にはエジプトはヒッタイト以上の犠牲者を出した末に領土を獲得できず、結局アムルは再びヒッタイトの属国となったと考えられている。
 
*アムルを巡ってヒッタイトのムワタリ2世と戦ったカデシュの戦いは、史上初の軍事記録に残された戦争であり、成文化された世界初の国際平和条約が結ばれたこと有名である。オジマンディアスは戦争での大勝を国内で宣伝し、神殿の壁画などに記したが、これは誇張であり、実際にはエジプトはヒッタイト以上の犠牲者を出した末に領土を獲得できず、結局アムルは再びヒッタイトの属国となったと考えられている。
 
**なお、この戦争におけるオジマンディアスの活躍は勝敗と同様に大幅に誇張して喧伝され、彼が一人で戦車を駆り、矢の一撃で敵の隊を全滅させたかの如き図などが神々を交えて壁画に彫り込まれたりもした。そして当時のエジプトの人々はこういった壁画を大真面目に歴史として記録してしまい、後世において歴史論争が大変ややこしいことになったという経緯がある。
 
**なお、この戦争におけるオジマンディアスの活躍は勝敗と同様に大幅に誇張して喧伝され、彼が一人で戦車を駆り、矢の一撃で敵の隊を全滅させたかの如き図などが神々を交えて壁画に彫り込まれたりもした。そして当時のエジプトの人々はこういった壁画を大真面目に歴史として記録してしまい、後世において歴史論争が大変ややこしいことになったという経緯がある。
**実際のカデシュの戦いでは、オジマンディアスがヒッタイト軍の嘘の情報に騙されたことでエジプト軍が分断され、奇襲を受けて壊滅寸前のところを偶然現れたアムルからの援軍により難を逃れることが出来たと考えられている。この後、自分の無謀な作戦によって多数の犠牲者を出したオジマンディアスはこれ以上の損失を出すわけにもいかず野営陣地を作成し、ヒッタイト陣営とのにらみ合いの状況になる。すでにカデシュを奪取するだけの力がエジプト軍に無いことは明らかだったが、亡き父であるセティ1世を超えなければならないと考えていたオジマンディアスは戦いの継続を望んだ。しかし、無謀な進軍により兵站線が伸び切っていたため食料が不足しはじめ、結果的にヒッタイト側の提案を受け入れることになった。この戦いはたった一度の指揮官の失策によって全軍が危機に陥るということをエジプト軍に軍事的教訓として教えた戦いであったとされている。
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**実際のカデシュの戦いでは、オジマンディアスがヒッタイト軍の嘘の情報に騙されたことでエジプト軍が分断され、一個軍団(ラー)が壊滅。その余勢で自ら率いる本隊(アモン)も奇襲を受けて壊滅寸前のところを偶然現れたアムル、及び分断されていた後続軍団からの援軍により難を逃れることが出来たと考えられている(その為、実際に最前線に立っていた可能性は高い)。この後、自分の無謀な作戦によって多数の犠牲者を出したオジマンディアスはこれ以上の損失を出すわけにもいかず野営陣地を作成し、一方のヒッタイト陣営も数こそ圧倒的優位であるものの、当時主力であった戦車部隊の損害が小さくなく<ref group="注">所説あるが、オジマンディアス王率いる部隊の敗走という大勝利に浮かれてヒッタイトの奇襲部隊(戦車隊のみ)がエジプト王の陣営の略奪を初めてしまい、オジマンディアスの反撃と先のアムルと後続の増援が運よく挟撃となり、足を止めていたヒッタイト戦車隊は本来随伴する歩兵がいないために立て直しができなかったという。</ref>、にらみ合いの状況になる。すでにカデシュを奪取するだけの力がエジプト軍に無いことは明らかだったが、亡き父であるセティ1世を超えなければならないと考えていたオジマンディアスは戦いの継続を望んだ。しかし、無謀な進軍により兵站線が伸び切っていたため食料が不足しはじめ、結果的にヒッタイト側の提案を受け入れることになった。この戦いはたった一度の指揮官の失策によって全軍が危機に陥るということをエジプト軍に軍事的教訓として教えた戦いであったとされている。
    
;出エジプト記
 
;出エジプト記
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==脚注==
 
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===注釈===
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===注釈 ===
 
<references group="注" />
 
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