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*[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]もコンスタンティノス宛のマイルーム会話で言及しているが、東''' “ローマ” '''帝国と明記されてはいるものの民族・文化的にはギリシャの影響を受け13世紀頃には住民もギリシャ系に置き換わっており、元手の神聖ローマ帝国とは似ても似つかない別国家となっている。
 
*[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]もコンスタンティノス宛のマイルーム会話で言及しているが、東''' “ローマ” '''帝国と明記されてはいるものの民族・文化的にはギリシャの影響を受け13世紀頃には住民もギリシャ系に置き換わっており、元手の神聖ローマ帝国とは似ても似つかない別国家となっている。
 
*Busterアタックで登場している鎖は、オスマン艦隊の侵入を阻止するため金角湾入り口に張り巡らせた防鎖だと思われる。これを突破すべくメフメト2世が編み出したのが陸を超えて船を湾に移させた「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策である。これにより物資援助が絶たれてローマ帝国軍の士気を下げることには成功したが、それでも城壁を破る足掛かりにさえならなかったと云う。
 
*Busterアタックで登場している鎖は、オスマン艦隊の侵入を阻止するため金角湾入り口に張り巡らせた防鎖だと思われる。これを突破すべくメフメト2世が編み出したのが陸を超えて船を湾に移させた「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策である。これにより物資援助が絶たれてローマ帝国軍の士気を下げることには成功したが、それでも城壁を破る足掛かりにさえならなかったと云う。
*そんな難攻不落と呼ばれたコンスタンティノープルの防壁だったが、突破された原因は'''なんと通用口が一箇所施錠し忘れていた'''といううっかりによるもの。
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*そんな難攻不落と呼ばれたコンスタンティノープルの防壁だったが、突破された原因は'''なんと前線の兵士が通用口の施錠を1箇所だけ忘れていた'''という、歴史的うっかりによるもの。それを発見したオスマン兵300人に侵入されて大混乱に陥り、ビザンツ帝国は1000年の歴史に幕を下ろした。
 
**他にも生涯二度結婚するがどちらも早くに死別<ref group="注">皇帝即位後に三度目となるグルジア国王女との婚姻が決まったものの、直後に防衛戦が始まってしまったため叶わないまま終わった。</ref>、先代の兄皇帝存命時から次期後継者と目されていたのだが、いざその時が来ると他の兄弟の猛反発にあい難航の末に即位にこぎつけるなど、所謂『小さな不幸』レベルの災難にかなりあっている。
 
**他にも生涯二度結婚するがどちらも早くに死別<ref group="注">皇帝即位後に三度目となるグルジア国王女との婚姻が決まったものの、直後に防衛戦が始まってしまったため叶わないまま終わった。</ref>、先代の兄皇帝存命時から次期後継者と目されていたのだが、いざその時が来ると他の兄弟の猛反発にあい難航の末に即位にこぎつけるなど、所謂『小さな不幸』レベルの災難にかなりあっている。
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**陥落した後のコンスタンティノープルは、オスマン帝国軍の徹底的な略奪と破壊によってローマ様式の街並みを失い、イスラム様式の姿に作り替えられて現在に至っている。
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**なお、現在の名称は「イスタンブール」となっているが、この名称が公式名になるのは意外にもトルコ共和国が成立した後の1930年からで、それ以前のオスマン帝国時代では主に「コンスタンティニエ」と呼ばれていた<ref group="注">ただし、「コンスタンティニエ」の名称自体は9世紀頃のイスラム教徒の記録には既に登場している。他にも「リゴス」や「ビュザンティオン」、「アウグスタ・アントニーナ」と時代によって街の名称がコロコロ変わっており、この地が何度も所有者が変わってきた=戦乱が続いた場所である事を物語っている。</ref>。
 
*夏目漱石の著作『吾輩は猫である』には「どうせ私などはオタンチンノパレオロガスでございますから。」という台詞が出てくるのだが、これはコンスタンティノス11世を英語読みした「コンスタンチン・パレオロガス」と「おたんちん」を掛けた洒落である。上記するマイケル呼びもこれが由来なのだろうか…。
 
*夏目漱石の著作『吾輩は猫である』には「どうせ私などはオタンチンノパレオロガスでございますから。」という台詞が出てくるのだが、これはコンスタンティノス11世を英語読みした「コンスタンチン・パレオロガス」と「おたんちん」を掛けた洒落である。上記するマイケル呼びもこれが由来なのだろうか…。
  
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