ドロテア・コイエット
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ドロテア・コイエット | |
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性別 | 女性 |
身長 | 157cm |
体重 | 44kg |
声優 | 平野綾 |
初登場作品 | Fate/Samurai Remnant |
概要
- 略歴
- 『Fate/Samurai Remnant』で行われる聖杯戦争「盈月の儀」に参戦した七人のマスターのうちの一人。
- ガレオン船に乗って日本にやってきたオランダ商館長の娘であり、時計塔に所属する魔術師。
- 横須賀を拠点として暗躍するも、土御門の術によってサーヴァントが操られた際に自身のサーヴァントたるアサシンに離反されてしまう。
- その後はアサシンの暴走を止めるべく活動し、「恩讐の焔」ルートでは命を落とすことになるが、「一条の光」ルートでは伊織とセイバーの助太刀で生存する。
- 人物
- 紺色を基調とした洋装で、脚に複雑な文様を刻み込んだ少女。
- 魔術師でありつつも貴族たらんとする精神性を持っており、「盈月の儀」においては無関係の民衆への被害を出さないよう気にかけている。
- 能力
- 魔術に秀でており、自身の工房に何重もの魔術による罠を敷き伊織たちを翻弄した一方で、他の術者による封印を容易く解除する力量を持つ。
登場作品と役柄
Fateシリーズ
- Fate/Samurai Remnant
- アサシンのマスター。
人間関係
Fate/Samurai Remnant
- アサシン
- 召喚したサーヴァント。彼にはその精神性や能力を高く評価されている。(当初「姫」と呼ばれるも、「レディ」と呼ぶよう訂正させた)
- しかしそれが仇となり、「盈月の儀」の中盤で彼女を試すため、土御門の術にわざとかかり離反されてしまう。
- その後、彼が宝具を用いて暴走した際には、事前に「暴走した際には自身を優先的に狙う」よう令呪をかけていたため、彼に狙われることとなる。
- 鄭成功
- 自分と同じ聖杯戦争の参加者であり、アーチャーのマスター。
- 彼の陣営に痛手を負わせたことで、同盟を組まれ狙われることとなる。
- 盈月の儀を敗退後は互いに接点はなかったが、「一条の光」ルートではエンディングにて対話することとなる。
- 史実では後に彼が台湾で暴れた事が当時オランダ領だった台湾の行政長官だった父フレデリックの失脚につながっている。
- 宮本伊織
- 自分と同じ聖杯戦争の参加者であり、セイバーのマスター。
- アーチャー陣営と同盟を結んでいるため、当初は彼にも狙われることとなった。
- 後にアサシンに離反された際には一時的に共闘し、「一条の光」ルートでは共同でアサシンを討ち、彼に借りを作ることとなった。
- その借りは、その後のライダーの暴走により召喚された「大神使」に対して、砲撃を行い援護することで返した。
- ジョバンニ
- コイエット家の家宰。
- 「恩讐の焔」ルートでは、自身の死後のコイエット家を任せることとなった。
史実
- フレデリック・コイエット
- 父親。実在したスウェーデン貴族。
- 舞台となっている慶安四年には、史実では長崎の出島のオランダ商館長を務めていた。
- 父の国籍を考えれば彼女も出身はスウェーデン人ということになる。
名台詞
- 「解っていないわね。私たち魔術師が目指すものが何か───」
- 伊織に西洋の魔術師を説明した時の台詞。
- 「レディの扱いができてるわね」
- アサシンがドロテアをお姫様だっこして、崖をジャンプした時の台詞。
- アサシンの風体からは考えられない紳士な対応に素直に褒めた。
メモ
- 『Fate/strange Fake』に登場するジェスター・カルトゥーレの本名が「ドロテア」であるため、「彼女が死徒となる前の姿なのではないか?」と話題になった。
- …が、史実上のフレデリック・コイエットにいた子は「息子」のバルタザールだった、と伝えられている。もしかすると、それもまた「六連男装」の一形態だった、という事なのだろうか。しかしFate/Samurai Remnantの時間軸における慶安4年においてバルタザール・コイエットは当時まだ2歳であり同じ人物に当てはめるには流石に年齢的に無理があるという点も存在する。
- 鄭成功が「ゼーランディア城包囲戦」において父親のフレデリック・コイエットを捕虜にし、後にオランダ人の多数を奴隷にしたと言う記録が残っているのは事実ではあるが、鄭成功自身はフレデリック・コイエットに対しては紳士的な対応を行い降伏協議書を纏めた後に開放を行っている。その後フレデリックはこの件の責任を負わされ3年の幽閉の後に9年のバンダ諸島送りにされるなどむしろ受難はオランダに帰った後に起きている。ちなみにフレデリック自体はバンダ諸島から開放された後13年後に他界しておりこれらが原因で死んだというわけではない。
- 息子として記録が残っているバルタザール・コイエット自身も優秀な人物であり、12歳でゼーランデイア城の落城を経験したが父を開放するためにスウェーデン王家からの嘆願書を得ることに成功した後に東インド会社に入り父が幽閉されたバンダ諸島の行政長官に上り詰めている。またコイエット家自体も現代まで末裔を残しているようだ。
話題まとめ
脚注
注釈
出典