直死の魔眼
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直死の魔眼
魔眼と呼称される異能の中でも最上級のもの。異能の中の異能、希少品の中の希少品。無機、有機問わず、“活きている”ものの死の要因を読み取り、干渉可能な現象として視認する能力。
直死の魔眼から視た世界は“死の線”で満ちた終末の風景であり、まっとうな精神構造ではこれと向き合っての日常生活は難しい。
ここで言う死期とは生命活動の終焉ではなく、「存在の寿命」。意味や存在が、その始まりの時から内包している「いつか来る終わり」のこと。誕生という大元の原因から、死という最終結果を読み取っているとも表現される。物理的な破壊ではなく、概念的な死であるため、治療や蘇生、再生や復元も無効化する。死徒などを相手にする場合は非常に有効。
「魔眼」と表記されるが、「死を理解した脳と眼球のセット」でなりたつため、眼球のみで成立する魔眼とは厳密には異なる。死期の情報は「線」と「点」で示される。
- 死の線
- モノの死にやすい部分。
- 線に沿って切ることでその箇所を死に至らしめることができ、「線」をもって切られた部分は本体の生死関係なく行動、治療、再生不能。厳密に言えば、線をなぞって物を解体する、ではなく、線状に物を殺している、という事になる。
切断に腕力は必要なく、強度も無力化される。たとえ鋼鉄であっても、線がある場所ならば容易に切り裂いてしまえる。 - 死の点
- 寿命そのものであり、死の線の根源。
- 突くことで対象の死期を発現させる。線と同様、突くのに腕力を必要とせず、強度も無視して貫く。ただし、能力が高まっている、極度に集中している状態でないと点を視ることは出来ない。
通常、「死に到る原因」があって「死期という結果」になるのだが、直死の魔眼の前ではその常識が通用しない。死期という結果を、線や点へ干渉することで強制的に発現させている。そして、この「死」は生命活動の終焉ではなく「存在の寿命」であるため、殺せる対象は生命体に留まらない。端的に言えば、相手が何であっても寿命があるなら殺せる。
欠点
- 能力者が「死」を認識できない対象には効果が及ばない
- 直死の能力者にとって死を理解できないモノ、その時代において壊す(殺す)ことが不可能なモノ、そもそもいつか来る終わり(死期、存在限界)の無いモノは、その死も理解できないので線も点も視えず、殺すことはできない。
- その時点で対象の死が理解できない場合、殺すことは出来ないのである。例えば、夜のアルクェイド・ブリュンスタッドは星からのバックアップによって死の要因がまるで無くなる為、線や点が見えない。また、『空の境界』第五章「矛盾螺旋」にて荒耶宗蓮が左手に仏舎利を入れていたように、相手が聖遺物など直死の能力者が「死」を認識できない物を体内に取り込んでいると、線や点が注視して辛うじて見えるほど細くなってしまう。
- 「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答では、荒耶のケースは仏舎利が『生きながら入滅した』覚者ものであり、死の線で殺すには通常の死の概念よりも何段階も高度な『死の線』を読み解く必要があったためと説明されている。
- 他にも、死の概念そのものがないORTにも無効と語られている。
- 能力者が直接死の線・点に干渉しないと効果が発生しない
- 死の線・点は「常人には認識できないが、常にそこにあって誰にでも殺せるもの」ではなく、直死の効果が現れるのは魔眼保持者が直接干渉した場合のみ。直死の能力を持たない他者に「ここに線がある」と教えて線を切らせても効果は発生しない。そのためより身体能力の優れた者と組んでサポートに回るという戦術は使えず、能力者本人が直接戦う必要がある。必然的に能力者は、断ち切れる・貫ける距離の接近戦を挑まねばならない(式のように「概念」も殺せるのなら、遠距離から飛んでくる魔術などを「殺す」ことは可能)。
- なお、いかに対象に絶対的な死をもたらす直死の魔眼を持っていても、それだけでは人外のバケモノである死徒や魔術師、超能力者を相手に切った張ったができるわけではない。死の線が見えてそこをなぞりさえすればどんな対象でも殺せるといっても、例えば死徒を相手に白兵戦をやれば、普通は相手の死の線に触れる前に殴り殺されるだけである。
- 両儀式、遠野志貴共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的なサーヴァントと戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されている(しかし「両儀式」ならば防衛戦までは出来るという)。
- 死の線・点が存在する部位にしか効果がない
- 日常では「カッターなどで硬いものをぶった切れる程度の能力」にしか過ぎない。しかも、切りたい場所に線がなければあまり役に立たない。
能力者
- 遠野志貴
- 「月姫」シリーズ主人公。死の線は黒で描写される。
- 幼少時に経た二度の臨死体験から、脳が死を理解できるようになってしまう。眼はもともと持っていた「淨眼」が変質したもののため、制御がきかず、魔眼殺しを使わないと抑制できない。式の魔眼には見えない「死の点」を視ることができ、死を深く視る場合、眼球の色が青白く輝く。
- より深く死を理解しようとすれば「鉱物の死の点」や「魔術などの概念」や「空間や地球の一部」さえも殺せるようになるが、ただでさえ使用に際し脳に多大な負荷をかけてしまうため、濫用はできない。
- 両儀式
- 『空の境界』主人公。死の線は赤白く描写される。
- 二年間の昏睡により、もともと『 』に繋がっている式の体の機能の一部が解放されたもの。「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によると、彼女もまた「淨眼」が変化したモノだという。死を視る際は、眼球の色が青赤く輝く。
- 持って生まれた能力であり、肉体のスペックが異なるため、志貴と違って脳に負担がかからない為に使い手としては彼女の方が数段上との事。普段は、焦点をズラして物事を俯瞰することで異様な視界と折り合いをつけている。「少し気を許しただけで視えてしまっていた」とされており、制御が難しい事が示唆されている。
- 用語辞典の設定では式にも魔眼殺し用のメガネを用意されていた模様。
- 上記の通り普段は「死の点」は視えないが、その気になれば「死の線の渦」という形で「死の点」を意識し、「死の点」として代用も出来る。ただ、これは式を以てしてもそれなりの負担がかかるらしく、意識の大半が真っ白になり「脳が過熱でもしているのか」と描写されている。
- また、「概念」として存在するものも「殺せる」という特性がある。仮に目を潰したとしても、「死を知覚できる」という能力そのものは失われることはない。
メモ
- 非常にレアな能力であるらしく、数百年を生きた死徒でさえ、存在するとは思っていなかった。
- 志貴、式共に同じ魔眼を所有するが、両者に殺せるモノに向き不向きがある。志貴の場合、「現象」という「概念」であるタタリには死の線を見る事は叶わなかった。式の場合は不明。
- 式の場合、「歪曲の魔眼」による概念も色の渦として判別出来ている。普段、セーブ出来ていること含め、直死の使い手としては式は数段上に位置する。
- 式の魔眼は『 』に繋がっているために発現した能力であるため、根源への到達を目指す荒耶に目をつけられたが、志貴に関しては『 』と関係しているか定かではなく、同じことが可能かどうかはわからない(むしろ式に劣るとされていることから、『 』には関係していない可能性が高い)
- 「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によるとサーヴァントにも有効であり、霊体化している状態でも当てれるという。
実際、「EXTRA」で式が元の世界に還るために「英霊百人切り」というとんでもない荒行に挑み、主人公達に敗れるまで勝ち続けていた。- 抑止力として存在する守護者や精霊等と異なり、サーヴァントは時限式で現界している幽霊に近い存在に過ぎない。かなり見えづらくとも死の線が存在するのは、当然と言えば当然の話である。
- 作中で言及されている限りでは、オリジナルはケルト神話における巨人にして死の神「バロール」の持つ魔眼。原典通りなら、死の線を切ったり点を突いたりする必要すらなく、その目で死を捉えた瞬間、相手は死ぬというとんでもない能力である。
- ちなみに、アルスターの伝承ではクー・フーリンはバロールの曾孫とされている。彼が敵を即死させる魔槍を扱えたのは、曾祖父の能力が影響したのかもしれない。