「直死の魔眼」の版間の差分

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: 直死の魔眼の能力は死の線・点を「視る」事と、「なぞる事で切れる状態にする」所までで、そこに刃を突き立てるのは能力者本人の身体能力次第である。
 
: 直死の魔眼の能力は死の線・点を「視る」事と、「なぞる事で切れる状態にする」所までで、そこに刃を突き立てるのは能力者本人の身体能力次第である。
 
: 動くことも反撃する事もない無機物相手なら話は簡単だが、超スピード・超パワーで飛び回り攻撃してくる[[死徒]]など相手に死の線を切りに行けるかというと話が変わってくる。魔眼の能力それだけで人外のバケモノ相手に切った張ったができるようになる訳ではない。
 
: 動くことも反撃する事もない無機物相手なら話は簡単だが、超スピード・超パワーで飛び回り攻撃してくる[[死徒]]など相手に死の線を切りに行けるかというと話が変わってくる。魔眼の能力それだけで人外のバケモノ相手に切った張ったができるようになる訳ではない。
: [[両儀式]]、[[遠野志貴]]共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的な[[サーヴァント]]と戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されているが、刀を装備した式ならば防衛戦までは出来るという。(尚、終末録音においては刀を装備した式はエクスカリバーを装備したアーサー王に匹敵すると描写されている)
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: [[両儀式]]、[[遠野志貴]]共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的な[[サーヴァント]]と戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されているが、刀を装備した式ならば防衛戦までは出来るという。(尚、終末録音においては、蒼崎燈子が残した射影機の作りだした世界(夢の出来事・瀬尾静音による脚色有り)とはいえ、刀を装備した式はエクスカリバーを装備したアーサー王に匹敵すると言及されている)
 
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; 死の線・点が存在する部位にしか効果がない
 
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2024年5月7日 (火) 16:27時点における最新版

直死の魔眼[編集 | ソースを編集]

魔眼と呼称される異能の中でも最上級のもの。異能の中の異能、希少品の中の希少品。
無機、有機問わず、“活きている”ものの死の要因を読み取り、干渉可能な現象として視認する能力。

直死の魔眼から視た世界は“死の線”で満ちた終末の風景であり、まっとうな精神構造ではこれと向き合っての日常生活は難しい。

ここで言う死期とは生命活動の終焉ではなく、「存在の寿命」。意味や存在が、その始まりの時から内包している「いつか来る終わり」のこと。誕生という大元の原因から、死という最終結果を読み取っているとも表現される。物理的な破壊ではなく、概念的な死であるため、治療や蘇生、接合や再生・復元も無効化する。死徒などを相手にする場合は非常に有効。

魔眼」と表記されるが、厳密には超能力であり、魔眼と淨眼のハイブリッド。死期の情報は「線」と「点」で示される。

死の線
モノの死にやすい部分。
線に沿って切ることでその箇所を死に至らしめることができ、「線」をもって切られた部分は本体の生死関係なく行動、治療、接合、再生不能。厳密に言えば、線をなぞって物を解体する、ではなく、線状に物を殺している、という事になる。
一方で切られた部位は再生する事は不可能だが、「新たに作り直す事」は可能という抜け道自体は存在する。
例えばアルクェイドが蘇生出来たのは自身の体の組織を再構成する事で再度分割された肉体を接合することに成功した。一方でこの再構成自体もアルクエイドの力の8割の消耗と発狂しそうなほどの激痛。また重度の後遺症が残る等、再構成する事自体も高難易度かつ大きな代償を払わなければならない事となる。
切断に腕力は必要なく、強度も無力化される。たとえ鋼鉄であっても、線がある場所ならば容易に切り裂いてしまえる。
素手でもなぞれば切断できる。
玄霧皐月や死徒の使い魔である死者など、死にやすい存在には線が多く現れる。
リメイク版では飛んでいる物体の線を切ってその慣性を停止させた事が確認された。
原作では黒で描写されるが、アニメなどでは赤白く描かれる場合がある。リメイク版では色に関する描写は削除され、ビジュアル的には場面によって色が変わる。
死の点
寿命そのものであり、死の線の根源。
突くことで対象の死期を発現させる。線と同様、突くのに腕力を必要とせず、強度も無視して貫く。ただし、能力が高まっている、極度に集中している状態でないと点を視ることは出来ない。
斬られてもある程度の対処方法が存在する死の線と違い、死の点を突かれる事は問答無用で確実に死に至る事とほぼ同義となる。
原作では黒で描写される。リメイク版では色に関する描写は削除され、ビジュアル的には場面によって色が変わる。

通常、「死に到る原因」があって「死期という結果」になるのだが、直死の魔眼の前ではその常識が通用しない。死期という結果を、線や点へ干渉することで強制的に発現させている。そして、この「死」は生命活動の終焉ではなく「存在の寿命」であるため、殺せる対象は生命体に留まらない。端的に言えば、相手が何であっても寿命があるなら殺せる。

欠点[編集 | ソースを編集]

能力者が「死」を認識できない対象には効果が及ばない
直死の能力者にとって死を理解できないモノ、その時代において壊す(殺す)ことが不可能なモノ、そもそもいつか来る終わり(死期、存在限界)の無いモノは、その死も理解できないので線も点も視えず、殺すことはできない。
その時点で対象の死が理解できない場合、殺すことは出来ないのである。例えば、夜のアルクェイド・ブリュンスタッドは星からのバックアップによって死の要因がまるで無くなる為、線や点が見えない。また、『空の境界』第五章「矛盾螺旋」にて荒耶宗蓮が左手に仏舎利を入れていたように、相手が聖遺物など直死の能力者が「死」を認識できない物を体内に取り込んでいると、線や点が注視して辛うじて見えるほど細くなってしまう。
「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答では、荒耶のケースは仏舎利が『生きながら入滅した』覚者ものであり、死の線で殺すには通常の死の概念よりも何段階も高度な『死の線』を読み解く必要があったためと説明されている。
他にも、死の概念そのものがないORTにも無効と語られている。
能力者が直接死の線・点を眼で捉えた状態でないと効果が発生しない
死の線・点は「常人には認識できないが、常にそこにあって誰にでも殺せるもの」ではなく、直死の効果が現れるのは魔眼保持者が眼で捉えた場合のみ。直死の能力を持たない他者が直死の能力者がいない場で「ここに線がある」と線を切っても効果は発生しない。空の境界では臙条巴が式の行動を元に式が居ない場面で荒耶宗蓮の点を突こうとしたが、眼で捉えた上でないと意味がないと一蹴されている。
死の線・点が見えたとして、それを切る事ができるかは別問題
直死の魔眼の能力は死の線・点を「視る」事と、「なぞる事で切れる状態にする」所までで、そこに刃を突き立てるのは能力者本人の身体能力次第である。
動くことも反撃する事もない無機物相手なら話は簡単だが、超スピード・超パワーで飛び回り攻撃してくる死徒など相手に死の線を切りに行けるかというと話が変わってくる。魔眼の能力それだけで人外のバケモノ相手に切った張ったができるようになる訳ではない。
両儀式遠野志貴共に、戦闘における体術などの単純な性能・技能は、魔眼の能力とは直接的な関係はない。この為、平均的なサーヴァントと戦った場合は式、志貴共に及ばないと発言されているが、刀を装備した式ならば防衛戦までは出来るという。(尚、終末録音においては、蒼崎燈子が残した射影機の作りだした世界(夢の出来事・瀬尾静音による脚色有り)とはいえ、刀を装備した式はエクスカリバーを装備したアーサー王に匹敵すると言及されている)
死の線・点が存在する部位にしか効果がない
日常では「カッターなどで硬いものをぶった切れる程度の能力」にしか過ぎない。しかも、切りたい場所に線がなければあまり役に立たない。

能力者[編集 | ソースを編集]

遠野志貴
月姫』シリーズ主人公。
幼少時に経た二度の臨死体験から、脳が死を理解できるようになってしまう。眼はもともと持っていた「淨眼」が変質したもののため、制御がきかず、魔眼殺しを使わないと抑制できない。式の魔眼には見えない「死の点」を視ることができ、死を深く視る場合、眼球の色が青白く輝く。
より深く死を理解しようとすれば「鉱物の死の点」や「魔術などの概念」や「空間や地球の一部」さえも殺せるようになるが、ただでさえ使用に際し脳に多大な負荷をかけてしまうため、濫用はできない。
一方で作中で酷使するほど魔眼の効果が成長しているかのような描写も見せており、シーンによっては一時的に魔眼殺しの眼鏡をかけても死の線が見えてしまうなどの状況まで陥っていた。あるいは死を視る事に慣れていってるとも歯止めが効かなくなり暴走してるとも表現できるかもしれない。
将来的な可能性の一つとして「殺人貴」に至る際は魔眼の力が成長しすぎて遂に魔眼殺しの眼鏡だけでは常時抑えられなくなり、常に魔眼殺しの包帯を巻いて封印するまでになっている。
リメイクである「月姫 -A piece of blue glass moon-」においては「校舎の渡り廊下の点を突くことで遠距離のミハイル・ロア・バルダムヨォンの足を廊下ごと殺す」という今までの直死の魔眼では存在しなかった現象が描写されている。
作家奈須きのこへのインタビューによるとそれにも意味はちゃんとある、とのこと。
両儀式
空の境界』主人公。
二年間の昏睡により、もともと『 』に繋がっている式の体の機能の一部が解放されたもの。「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によると、彼女もまた「淨眼」が変化したモノだという。死を視る際は、眼球の色が青赤く輝く。
持って生まれた能力であり、肉体のスペックが異なるため、志貴と違って脳に負担がかからない為に使い手としては彼女の方が数段上との事。普段は、焦点をズラして物事を俯瞰することで異様な視界と折り合いをつけている。「少し気を許しただけで視えてしまっていた」とされており、制御が難しい事が示唆されている。作中では橙子に魔眼殺しの作製を打診されているが、「必要ない」とにべもなく断っている。
ただし、荒耶宗蓮のような通常では死が見えない対象の死を無理矢理見ようとするのは、式でさえそれなりの負担がかかるらしく、意識の大半が真っ白になり「脳が過熱でもしているのか」と描写されている。
上記の通り「死の点」は視えないが、場合によっては「死の線」でも「死の点」に似た効果を出せる。
また、「概念」として存在するものも「殺せる」という特性がある。仮に目を潰したとしても、「死を知覚できる」という能力そのものは失われることはない。
テペウ
Fate/Grand Order』の南米異聞帯に在住するディノス
どのような経緯で眼を持つに至ったのかは不明だが、能力として微弱なためかディノスという種族自体が心身ともに健全なためか日常生活に支障はない模様。
それでも他のディノスとずれを感じることはあるようで、若干厭世的な性格になっている。

メモ[編集 | ソースを編集]

  • 非常にレアな能力であるらしく、数百年を生きた死徒でさえ、存在するとは思っていなかった。
    • 魔術協会でも実態はほとんど把握されておらず、通常の魔眼と同じモノと思い込んでいるフシがある。
  • 死の線は素手でもなぞれば切断できるが、式はそれで指の骨が砕けた事があった。志貴も指先を入れた後、もっと細い物で奥まで入れようとした事から考えると、なぞるものの大きさには関係がある模様。
  • 志貴、式共に同じ魔眼を所有するが、両者に殺せるモノに向き不向きがある。志貴の場合、「現象」という「概念」であるタタリには死の線を見る事は叶わなかった。式の場合は不明。
    • 式の場合、「歪曲の魔眼」による概念も色の渦として判別出来ている。普段、セーブ出来ていること含め、直死の使い手としては式は数段上に位置する。
    • 一応式は今の所志貴が行ったように鉱物の死を視て切ったシーンが無いが、電話機を「壊れていないから生きている」と認識すれば殺すことができると語られているため、鉱物の死も見える模様。
  • 荒耶宗蓮は式でさえ意識の大半が真っ白になるまで観察して、ようやく微弱な死の線を視つけ、胸の真中に死の線が渦巻いているような「穴」が視える。ただ、その胸を貫通しても、彼の肉体だけを死なせたに留まる事から考えると、死の点ではないと思われる。作中ではこれを「奇怪な生命の在り方をした」と解釈される。
    • 一応式は巫条霧絵の二重存在も胸部の二尖弁あたりに即死の一点が見え、それを刺殺した後、「崩壊はいずれ本体へと辿り着く」と蒼崎橙子は言っているが、それが死の点であるかどうかは不明。
  • 原作である月姫におけるアルクェイド・ブリュンスタッドの説明によると、志貴の眼もまた根源の渦を「読む」ことによって物事の終わりを「識って」いるとされており、理屈としては式のものも志貴のものも同じものである模様。
  • 「TYPE-MOON Fes」パンフレットの一問一答によるとサーヴァントにも有効であり、霊体化している状態でも当てられるという。
    実際、『EXTRA』で式が元の世界に還るために「英霊百人切り」というとんでもない荒行に挑み、主人公達に敗れるまで勝ち続けていた。
    • 抑止力として存在する守護者や精霊等と異なり、サーヴァントは時限式で現界している幽霊に近い存在に過ぎない。かなり見えづらくとも死の線が存在するのは、当然と言えば当然の話である。
  • 作中で言及されている限りでは、オリジナルはケルト神話における巨人にして死の神「バロール」の持つ魔眼。原典通りなら、死の線を切ったり点を突いたりする必要すらなく、その目で死を捉えた瞬間、相手は死ぬというとんでもない能力である。これを想定するならば魔眼のノウブルカラーのランクで最上位の「虹の魔眼」であってもおかしくないとされているのだが、実際に作中で登場した直死の魔眼は上記の通りなので両名の魔眼が魔眼としてどのランクに当たるのかは現状不明。
  • 化野菱理は直死の魔眼を対象の最後を視て手繰り寄せる、いわば未来視の究極ではないかと推測している。このことについては月姫においても蒼崎青子が志貴の眼について同様の推測を行っている。

脚注[編集 | ソースを編集]

注釈[編集 | ソースを編集]


出典[編集 | ソースを編集]


リンク[編集 | ソースを編集]