李書文 (帝都聖杯奇譚)
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ランサー
- 真名:李書文
- 性別:男性
『帝都聖杯奇譚』に登場する「槍兵」のクラスのサーヴァント。コートを着た老人。
- 略歴
- 来日直前の上海に訪れた言峰花蓮によって召喚される。帝都で虐殺の宴を繰り広げるバーサーカーを止めるためにマスターとともに現れた。
- 人物
- 晩年期で召喚されているため若年期と比べると少しは枯れて大人しくなっているが、「戦場では強い奴だけが勝つ」というバーサーカーの考えに一定の理解を示している。
- しかし、「筋を違える」者に対しては怒りをあらわにする一面を見せている。
- 能力
- 技術的な全盛期として老人の姿で召喚されており、『神槍』とうたわれる程の超絶的な槍捌きを持つ。
- また、素手でも卓越した戦闘能力を持っている。
ステータス
クラス | マスター | 筋力 | 耐久 | 敏捷 | 魔力 | 幸運 | 宝具 | クラス別能力 | 保有スキル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ランサー | 言峰花蓮 |
宝具
- 猛虎硬爬山
- 種別:対門宝具
- 由来:李書文が最も得意だったとされる絶招。
- 本来の技の形がはっきりしないっぽいが「拳児」準拠でお送りするとのこと。
真名:李書文
- 李書文。近代の生まれでありながら、数々の伝説を刻んだ中国の伝説的武術家。
八極拳の使い手としてももちろん名高いが、槍技の精妙さは「神槍」として讃えられたほどの腕前。
- 清朝末期、滄州に生まれた李書文は八極拳を習い始めるとたちまち頭角を表し、拳法史史上でも最強と謳われるまで上り詰めた。
千の技を学ぶより一の技を徹底的に磨き上げることで、文字通りの一撃必殺を体現した。
- 本来サーヴァントは、全盛期の姿で召喚されるが、李書文は肉体の全盛期と、武術の全盛期の二種類が存在するため、「老いた姿」で召喚される事もある。
肉体の全盛期は当然、青年時代を基準とするが、彼の武術が全盛期を迎えたのは老境に差し掛かった頃だから、と推測されている。 - 老いた姿で召喚された場合、若い時とは違い、死を超えて悟りを得ようと躍起になるが、そのどちらも李書文であり、武術家である事に変わりは無い。
登場作品と役柄
- Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚
- ランサーのサーヴァントとして老年期で登場。
- 中盤、アサシンにマスターを人質に取られ、槍を捨てさせられて窮地に陥る。卑劣なアサシンはマスターに危害を加え、彼を甚振ろうとするが、素手で反撃してフルボッコにしてしまう、というランサーに有るまじき活躍を見せる。その強さは桜セイバーから「むしろ槍捨てた方が強くないですか?」と言われるほど。
人間関係
帝都聖杯奇譚
- 言峰花蓮
- マスター。
- バーサーカー
- 敵サーヴァントの一人。技量では圧倒するものの、火力の低い攻撃はすぐに再生される上に宝具のせいで防御も難しいという、とことん相性の悪い相手。
- アサシン
- 敵サーヴァントの一人。マスターを人質に取られてしまうが、一瞬のスキを突いて素手で撃破した。
- 有り余る才能を持ちながら驕り高ぶり、自分の業を磨こうとせず他人の業を模倣するばかりな上に、筋を通すことの何たるかを理解しない彼に対しては怒りを露にした。
その他
- 李書文
- 肉体的に全盛をほこる、若い時の姿。
名台詞
帝都聖杯奇譚
- 「ほう―― 真理だな」
「わしも」
「そう思う」 - 武芸者は戦の役に立たない技だの位だのくだらない連中で、戦場では強い者が勝つだけだと豪語するバーサーカーに対して。
- バーサーカーの凶槍を華麗にさばき、頭に必殺の一撃を決め、勝利したかに見えたが…。
- 「おい小僧 筋が違うぞ…」
- マスターを人質に取って槍を捨てさせた挙げ句、ためらいなく彼女を刺したアサシンに対して。
- 人質を取ったことでも、マスターを攻撃したことでもなく、「筋を違えた」こと。合理にほど遠い行為に対して、かつて無いほどの怒りを露にした。
- 「のうアサシン――
それほどの『才』――
なぜ磨かなかった」 - アサシンの剣よりも速く懐に潜り込み、『猛虎硬爬山』を打ち込むランサー。
- ただ生まれつき与えられただけの『才』と、人生をかけて磨き抜かれた『才』の差が表れた瞬間。
メモ
- 対魔力スキルのランクは不明だが、令呪による「アサシンを倒しなさい」という命令を一時的に拒んでいる。
- もっとも、その直後にマスターを刺したアサシンを殺しているため、タイミングをずらしただけで令呪の命令は実行したとも言える。
- 『帝都聖杯奇譚』に登場したことで、まともな聖杯戦争では未来の英霊を除けば没年と召喚年の間隔が最も短いサーヴァントとなった(没年:1934年、帝都聖杯奇譚:1945年)。生前の知り合いに出会うどころか、外見年齢が老年なため「実は生きていた」と言っても通じるレベルである。